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アレクセイ・レオーノフさんの残した言葉【人類初の宇宙遊泳に成功】1934年5月30日~2019年10月11日

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「地球は非の打ちどころがないくらい丸かった。宇宙から地球を見て、『丸い』という意味が私にははじめてわかった。」 ソビエト連邦の軍人、宇宙飛行士。1965年に世界で初めて宇宙遊泳を行った。 レオーノフは、ソビエト連邦において、1960年にユーリイ・ガガーリンらとともに最初の宇宙飛行士として空軍から選抜された20人のうちの一人であった。 1965年3月18日にボスホート2号に搭乗し、パベル・ベリャーエフ大佐とともにバイコヌール宇宙基地から打ち上げられた。18日8時34分より約10分間、宇宙遊泳を行った。ボスホート2号は3月19日に帰還している。このとき、宇宙服(ベルクート宇宙服)内の気圧が上がりすぎ、服全体が膨張し、手を握ることも出来ず、エアロックを通って船内に戻ることが出来なくなったため、与圧バルブを開いて空気を逃がして漸く事なきを得た。この事実は当時は発表されることはなかった(なお、ドキュメンタリードラマ「宇宙へ ~冷戦と二人の天才~」では、ここでセルゲイ・コロリョフの指示があったと描写されているが、実際にはレオーノフの独断であった。このことはレオーノフが自著「アポロとソユーズ」に書いている)。 1968年からはソビエトの月接近飛行計画及び月着陸飛行計画のメンバーに選抜されている。しかし、宇宙船の開発の遅延とアメリカ合衆国のアポロ計画の成功により、これらの計画はキャンセルされた。 1971年に打ち上げられたソユーズ11号は当初、レオーノフを船長として、ワレリー・クバソフ、ピョートル・コロディンを加えた3人が搭乗し、サリュート1号へ向かう予定であったが、打ち上げの4日前に行われたX線検査でクバソフが結核に感染していることが発見され、規定によりバックアップ・クルーの3人と交代する事となった。しかし、ソユーズ11号は地上へ帰還する際、帰還モジュールに装備されていたバルブの欠陥による空気漏れ事故が発生し、交代したクルー3人が全員死亡するという悲劇に見舞われた。レオーノフは、問題のバルブがしばしば誤作動を起こしていたことを認識しており、突入前の宇宙船との交信で、自動ではなく手動でバルブを操作するようにとアドバイスしていた。しかし、結局クルーは自動でバルブを動作させ、死亡事故に至った。彼は、自分がソユーズ11号に乗っていれば事故は起こらなかったと自責の念にから...