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ジョン・ハーシェル・グレンさんの残した言葉【真のアメリカンヒーロー】1921年7月18日~2016年12月8日

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「年とった者も、若い者と同じように夢を持つことができる。それに向かって励め。」 「これはたまたまこのようになったのだろうか。 …私には、そのようには信じられない。」 (1962年に初めて地球を見てつぶやいた言葉) アメリカの元海兵隊戦闘機パイロット、宇宙飛行士、政治家。1962年にアメリカ人として初の軌道周回飛行を行った。 1958年より開始された宇宙飛行士の選抜を受け、1959年に宇宙飛行士に選抜された。アメリカ初の7人の宇宙飛行士の一員(マーキュリー・セブン)となり、NASAのマーキュリー計画に従事。1962年のマーキュリー6号(フレンドシップ7)により、アメリカ初の地球周回軌道を飛行した宇宙飛行士となる。これは映画『ライトスタッフ』のモデルになっている。日本では、文藝春秋昭和37年5月号に、『宇宙最悪の旅』と題した回想記が発表された。海兵隊大佐で退役。

アレクセイ・レオーノフさんの残した言葉【人類初の宇宙遊泳に成功】1934年5月30日~2019年10月11日

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「地球は非の打ちどころがないくらい丸かった。宇宙から地球を見て、『丸い』という意味が私にははじめてわかった。」 ソビエト連邦の軍人、宇宙飛行士。1965年に世界で初めて宇宙遊泳を行った。 レオーノフは、ソビエト連邦において、1960年にユーリイ・ガガーリンらとともに最初の宇宙飛行士として空軍から選抜された20人のうちの一人であった。 1965年3月18日にボスホート2号に搭乗し、パベル・ベリャーエフ大佐とともにバイコヌール宇宙基地から打ち上げられた。18日8時34分より約10分間、宇宙遊泳を行った。ボスホート2号は3月19日に帰還している。このとき、宇宙服(ベルクート宇宙服)内の気圧が上がりすぎ、服全体が膨張し、手を握ることも出来ず、エアロックを通って船内に戻ることが出来なくなったため、与圧バルブを開いて空気を逃がして漸く事なきを得た。この事実は当時は発表されることはなかった(なお、ドキュメンタリードラマ「宇宙へ ~冷戦と二人の天才~」では、ここでセルゲイ・コロリョフの指示があったと描写されているが、実際にはレオーノフの独断であった。このことはレオーノフが自著「アポロとソユーズ」に書いている)。 1968年からはソビエトの月接近飛行計画及び月着陸飛行計画のメンバーに選抜されている。しかし、宇宙船の開発の遅延とアメリカ合衆国のアポロ計画の成功により、これらの計画はキャンセルされた。 1971年に打ち上げられたソユーズ11号は当初、レオーノフを船長として、ワレリー・クバソフ、ピョートル・コロディンを加えた3人が搭乗し、サリュート1号へ向かう予定であったが、打ち上げの4日前に行われたX線検査でクバソフが結核に感染していることが発見され、規定によりバックアップ・クルーの3人と交代する事となった。しかし、ソユーズ11号は地上へ帰還する際、帰還モジュールに装備されていたバルブの欠陥による空気漏れ事故が発生し、交代したクルー3人が全員死亡するという悲劇に見舞われた。レオーノフは、問題のバルブがしばしば誤作動を起こしていたことを認識しており、突入前の宇宙船との交信で、自動ではなく手動でバルブを操作するようにとアドバイスしていた。しかし、結局クルーは自動でバルブを動作させ、死亡事故に至った。彼は、自分がソユーズ11号に乗っていれば事故は起こらなかったと自責の念にから

アラン・ビーンさんの残した言葉【宇宙飛行士】1932年3月15日~2018年5月26日

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「月の上に自分が立っていることが、現実でないように思われた。何度も私は月の上で独り言を言った。これは月で、あれは地球だ。私は確かにここにいるのだと。」 アメリカ航空宇宙局の宇宙飛行士、技術者で、1969年11月、37歳の時に人類で4番目に月面を歩いた。

エドガー・ミッチェルさんの残した言葉【宇宙飛行士】1930年9月17日~2016年2月4日

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「嬉しかったのは、宇宙には調和があり、創造の力があることを感じた時だ。悲しかったのは、人間がそれを知りながらそれと反対することをしているのに気づいた時だ。」 アメリカ合衆国のパイロット、工学者、宇宙飛行士。アポロ14号のアポロ月着陸船のパイロットとして9時間を月で過ごし、月面を歩いた6番目の人間になった。

ユージン・サーナンさんの残した言葉【宇宙飛行士】1934年3月14日~2017年1月16日

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「地球を振り返れば、北極から南極まで海洋も大陸も地球の自転も見える。天空から吊り下げている糸などないのに、ほとんど想像を絶する暗黒の中に浮かんでいて動いている。」 アメリカ合衆国の海軍軍人、宇宙飛行士。ジーン・サーナンとも。

ジョン・ヤングさんの残した言葉【宇宙飛行士】 1930年9月24日~2018年1月5日

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「Risky to change. Riskier not to change.」 (変えるにはリスクが伴う。変えなければより大きなリスクが伴う。) アメリカ航空宇宙局の宇宙飛行士、海軍大佐。 これまでにジェミニ計画で二度、アポロ計画で二度、スペースシャトル計画で二度、計六度宇宙飛行ミッションを行った。また、ジェミニ宇宙船、アポロ司令・機械船、アポロ有人月着陸、スペースシャトルの4つを経験している唯一で最初の人物でもある。