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高見順さんの残した言葉【死の淵より】1907年1月30日~1965年8月17日

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「傷ついたのは、生きたからである。」 「欠点のない人間はないだろう。友人の欠点をとがめ立てていたら、この世に友人というものはないだろう。」 「女の為に総べてを捧げる、そういうことだって男子一生の快事なのじゃありませんか。」 「ひとを愛するということは、自分を愛するということから始めなければならないのだ。ひとを愛するということは自分を愛するということなのだ。自分を愛することができないものがどうしてひとを愛することができようか。」 「生の完全な燃焼が死だ。」 「この世が 人間も自然も 幸福に満ちている。だのに私は死なければならぬ。だのにこの世は実に幸せそうだ。それが私の心を悲しませないで かえって私の悲しみを慰めてくれる。私の胸に感動があふれ 胸がつまって涙がでそうになる。」 「友人というものは、ただ黙って向かい合って座っているだけでも、自ずと心が暖められる。」 「悲しみは いつも真っ直ぐ心に来る。」 「枯れて 生きる 生きて 枯れる」 「悔いにみちたこの人生こそ私の人生で、それ以外に私の人生はありえなかったのだ。」 「ぶどうに種があるように 私の胸に悲しみがある 青いぶどうが酒になるように わが悲しみよ、よろこびになれ。」 「客観的に私の人生がどうあろうと、私のこの人生しか私にはなかったのだ。人生とは私にとって、私の人生しかないのだ。」 「死については、すでにもう人によって考えつくされている。しかし私なりにやはり考えてみよう。」 「悔いにみちた人生ではあるが、それが私にとって私の人生なのだ。私としては精一杯生きてきた人生である。それと違った人生を、はたして私が持ちえたかどうか。」 「自分を、違う人間にしうると考え、自分の考えている理想像に近づけることが生長であると考えた。(中略)私というものは、けっきょく、私になりえたということに過ぎない。(中略)私が私になりえたら、大したことではないか。私ははたして私になりえたか。」 日本の小説家、詩人。 饒舌体と呼ばれる手法で『故旧忘れ得べき』を『日暦』に発表、第1回芥川賞候補となり、作家としての地位を確立した。

高見順さんの残した最後の言葉【死の淵より】1907年1月30日~1965年8月17日

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「はじめも終りもありがとうございました、としかいえません。一世一代の大風呂致を広けっ放しで病に倒れましたが、どうか末長く頼みます」 (設立のために奔走した「近代文学館」の起工式のメッセージ。翌日の8月17日午後5時32分、導師の『喝』の声とともに死去) (最後の言葉) 日本の小説家、詩人。 饒舌体と呼ばれる手法で『故旧忘れ得べき』を『日暦』に発表、第1回芥川賞候補となり、作家としての地位を確立した。

佐田啓二さんの残した言葉【俳優】1926年12月9日~1964年8月17日

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「主演男優賞というのは、立ってても獲れる。それは周りがとらせてくれるものなんだ。だけど助演男優賞は、自分が動いて初めて穫れる賞なんだ。」 1940年代後半から1960年代にかけて活躍した日本の俳優。 俳優の中井貴一、女優・エッセイストの中井貴恵は実子。 1947年(昭和22年)、木下恵介監督の『不死鳥』で、いきなり、大スター田中絹代の相手役に抜擢される。田中とのラブシーンは話題となり、早くもスターの地位を獲得。続いて、菊田一夫原作のNHKの人気ラジオドラマを映画化した『鐘の鳴る丘』に主演し、さらに人気を高める。 ほぼ同時期にデビューした高橋貞二、鶴田浩二と人気を分け合い「松竹戦後の三羽烏」と言われた。その人気を決定的なものとしたのは、1953年(昭和28年)に公開された『君の名は』である。当時の大人気ラジオドラマを映画化したこの作品で岸恵子と共演し、名実共にトップスターの地位につく。その後、徐々に演技派に脱皮していき、特に、プロ野球選手のスカウト合戦を題材にした1956年(昭和31年)の小林正樹監督の問題作『あなた買います』ではスカウトを演じ、伊藤雄之助を相手に鬼気迫る演技を見せ、毎日映画コンクール、ブルーリボン賞の主演男優賞を獲得した。その後も、木下の『喜びも悲しみも幾歳月』、小津安二郎の『秋刀魚の味』など戦後を代表する作品に出演。晩年は癖のある悪役なども演じていた。

故人が残した名言集【8月17日】

高見順さんの残した言葉【死の淵より】1907年1月30日~1965年8月17日 「傷ついたのは、生きたからである。」 「欠点のない人間はないだろう。友人の欠点をとがめ立てていたら、この世に友人というものはないだろう。」 「女の為に総べてを捧げる、そういうことだって男子一生の快事なのじゃありませんか。」 「ひとを愛するということは、自分を愛するということから始めなければならないのだ。ひとを愛するということは自分を愛するということなのだ。自分を愛することができないものがどうしてひとを愛することができようか。」 「生の完全な燃焼が死だ。」 「この世が 人間も自然も 幸福に満ちている。だのに私は死なければならぬ。だのにこの世は実に幸せそうだ。それが私の心を悲しませないで かえって私の悲しみを慰めてくれる。私の胸に感動があふれ 胸がつまって涙がでそうになる。」 「友人というものは、ただ黙って向かい合って座っているだけでも、自ずと心が暖められる。」 「悲しみは いつも真っ直ぐ心に来る。」 「枯れて 生きる 生きて 枯れる」 「悔いにみちたこの人生こそ私の人生で、それ以外に私の人生はありえなかったのだ。」 「ぶどうに種があるように 私の胸に悲しみがある 青いぶどうが酒になるように わが悲しみよ、よろこびになれ。」 「客観的に私の人生がどうあろうと、私のこの人生しか私にはなかったのだ。人生とは私にとって、私の人生しかないのだ。」 「死については、すでにもう人によって考えつくされている。しかし私なりにやはり考えてみよう。」 「悔いにみちた人生ではあるが、それが私にとって私の人生なのだ。私としては精一杯生きてきた人生である。それと違った人生を、はたして私が持ちえたかどうか。」 「自分を、違う人間にしうると考え、自分の考えている理想像に近づけることが生長であると考えた。(中略)私というものは、けっきょく、私になりえたということに過ぎない。(中略)私が私になりえたら、大したことではないか。私ははたして私になりえたか。」 日本の小説家、詩人。 饒舌体と呼ばれる手法で『故旧忘れ得べき』を『日暦』に発表、第1回芥川賞候補となり、作家としての地位を確立した。 佐田啓二さんの残した言葉【俳優】1926年12月9日~1964年8月