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石坂敬一さんの残した言葉【伝説のロック・ディレクター】1945年8月25日~2016年12月31日

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「大学卒業後、東芝音楽工業に入社しました。当時は大きな会社ではありませんから、すぐにビートルズの担当になることができました。箱に詰められたレコードが送られてくると、新人の私が担いで倉庫まで運ぶのですが、『私がこのレコードを割ってしまえば、ビートルズは何もできない。自分が日本における運命を握っているんだ』と、入れ込んでいたのを覚えています。」 「東芝の常務から東芝EMIの社長になられた高宮昇さんからは、多くの面で教えられることがありました。とりわけ仕事に関しては、一途に、誠実に、さらに厳しくということを、高宮さんの背中から学んだ気がします。」 「音楽は非常に広がりのある芸術で、その背景には伝説や民話、言葉などの様々な要素が詰まっている。こうした研究をした上でビートルズの音楽を聴いてみると、彼らのインスピレーションや深い一面が理解できるような気がしました。」 日本の実業家・音楽ディレクターで、東芝EMI、日本ポリグラム~ユニバーサルミュージックで数々の実績を残し、経営に尽力した。日本レコード協会顧問。埼玉県出身。 2011年11月1日より、ワーナーミュージック・ジャパン代表取締役会長 兼CEOに就任。 東芝EMI在籍時には名物ディレクターとして名を知られ、洋楽制作部時代にはザ・ビートルズやピンク・フロイドを手がけ、邦楽制作本部時代には原田知世、薬師丸ひろ子、本田美奈子らを育てる。 クリエイションを米・豪で売り出し、日本のロックの海外進出の足掛かりを作った。 また、前・所属会社で実績が伸びなかったBOØWYや矢沢永吉を移籍させ、復活させたことでも知られる。

山田廣作さんの残した言葉【音楽プロデューサー】1941年~2017年5月8日

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「歌はメッセージだ。」 ゴダイゴを世に送り出し、島倉千代子の「人生いろいろ」や天童よしみ「珍島物語」などのヒット曲を手掛けた音楽プロデューサー。

アヴィーチーさんの残した言葉【音楽プロデューサー】1989年9月8日~2018年4月20日

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「遠く離れて、何があったとしても兄弟のためならできないことはない。」 「失うものなんて何もない世間の風当たりなんか気にする必要はない。どん底からでも這い上がろう。」 「いつかお前も死ぬだろう。だから記憶に残る人生を生きるんだ。」 「僕は愛を待っている。」 「終わらない苦痛、人生辛いけど楽しんでいこう。」 「人身売買なんてクソくらえだ!」 「夢がかない、問題が無くなり、全てが終わったら起こしてくれ。」 スウェーデン出身の音楽プロデューサー。またのアーティスト名をティム・バーグ 、トム・ハングス ともいう。『グラミー賞』2回ノミネート。

フランキー・ナックルズさんの残した言葉【音楽プロデューサー】1955年1月18日~2014年3月31日

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「ハウスは、ディスコの復讐なんだよ」 アメリカ合衆国のDJであり、音楽プロデューサーである。ニューヨーク州ブロンクス区出身。1980年代にシカゴのゲイクラブ「Warehouse」でハウスミュージックの源流を作り開発と普及に重要な役割を果たした。

佐久間正英さんの残した言葉【音楽プロデューサー】1952年2月29日~2014年1月16日

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「僕らがプロデューサーとしてやってきたことは実際の内容を話してしまえば、知らない人から見れば『バカじゃないの』って些細なことの積み重ねなので」 日本のミュージシャン、作曲家、音楽プロデューサー。