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デール・カーネギーさんの残した言葉【人を動かす】1888年11月24日~1955年11月1日

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「It isn’t what you have, or who you are, or where you are, or what you are doing that makes you happy or unhappy. It is what you think about.」 (幸福は、あなたが何を持っているのか、あなたが誰か、あなたがどこに何処にいるのか、あるいは、あなたが何をしているのかで決まるものではない。ただ、あなたが何を考えるかで決まるのだ。) 「Inaction breeds doubt and fear. Action breeds confidence and courage. If you want to conquer fear, do not sit home and think about it. Go out and get busy.」 (動かないことが疑いと恐れを生み出す。行動は自信と勇気を生み出す。もしあなたが恐れを克服したいと思うのなら、家の中で座って考えたりしてはいけない。外に出て、忙しくするのだ。) 「When dealing with people, let us remember we are not dealing with creatures of logic. We are dealing with creatures of emotion, creatures bustling with prejudices and motivated by pride and vanity.」 (およそ人を扱う場合には、相手を論理の動物だと思ってはならない。相手は感情の動物であり、しかも偏見に満ち、自尊心と虚栄心によって行動するということを、よく心得ておかねばならない。) 「The only way to get the best of an argument is to avoid it.」 (議論から最大の利益を得る唯一の方法は、議論を避けることである。) 「Any fool can criticize, condemn and complain – and most fools do.」 (どんな愚者でも批判し、非難し、文句を言うことはできる。そして、多くの愚者がそう

千秋実さんの残した言葉【俳優】1999年11月1日

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「カッコ悪くたっていいのだ。カッコ悪さを恐れてはいけない。恥ずかしがってはいけない。どんな格好でも真剣に生きる姿は美しいのだ。」 日本の俳優。 妻の女優佐々木踏絵とともに薔薇座を結成して舞台で活動後、映画俳優に転向し、黒澤明監督作品の常連俳優として活躍。テレビドラマでもホームドラマを中心に人気を得た。主な作品に『七人の侍』『隠し砦の三悪人』『花いちもんめ。』など。著書に妻との共著『わが青春の薔薇座』などがある。

ジョージ川口さんの残した言葉【ジャズドラムスの神様】1927年6月15日~2003年11月1日

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「ドラムは命。死ぬまで現役」 日本のドラム奏者。 本名は、川口 譲治。 「ジャズドラムスの神様」と呼ばれた。 終戦時は陸軍少年航空兵として訓練を受けていた。ジャズ奏者の父親の影響で戦後から米軍クラブなどで演奏活動を始め1953年に松本英彦、中村八大、小野満と共にバンド「ビッグ・フォア」を結成して活躍、1950年代に大衆的人気を誇った。 ジャズを広く普及させ、また多くの若手を育成した功績を評価され、芸術選奨文部大臣賞、紫綬褒章などを受賞している。 他ジャンルとの競演もこなしており、和太鼓奏者の小口大八とのセッションは幾度と無く行われた。越路吹雪のバンド「ロイヤルポップスオーケストラ」のドラムとしても活躍。 豪放磊落な性格で幅広い世代から愛された人物である。 亡くなる直前までドラマーとして活動していたが、2003年11月1日、脳出血のため亡くなった。満76歳没。 没後、自身のバンドであったニュービッグフォーは、息子の川口雷二が後を継いでいる。

二上達也さんの残した言葉【将棋棋士】1932年1月2日~2016年11月1日

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「大山さんの負けじ魂は尋常ではなかった。私は将棋は技術の勝負だととらえていたが、大山さんは人間対人間の勝負にもちこもうとしていたのである。私の指し手よりも私という人間を研究していた」 「若手・中堅の棋士たちが将棋研究に打ち込む熱心さをもう少し将棋普及のためにも積極的に向けてもらえればいいのですが」 「ここは師匠の意地を見せてやろうと気合を入れたが、結果は私の完敗だった。このとき引退を決意した」 (弟子の羽生善治と初対戦で完敗) 将棋棋士。渡辺東一名誉九段門下で棋士番号は57。タイトル獲得通算5期。1990年引退。 1989年から2002年にかけて日本将棋連盟会長を務めた。加藤治郎・原田泰夫の後任として将棋ペンクラブ名誉会長でもあった。 弟子に羽生善治がいる。 棋風は居飛車の攻め将棋。相掛かりガッチャン銀戦法は二上定跡として有名である。守りが薄い状態で攻め込むため、展開の早い勝負になりやすく、終盤の力で勝負した。木村14世名人は二上のスピードの早い将棋を評価した。塚田は、自身の師匠である花田長太郎と塚田を足して2で割った棋風と語った。大山によれば振り飛車を嫌っていたとされるが、自身では対大山で経験を積んだため振り飛車の相手が苦にならなくなったという。 上の世代の棋士は対局中につぶやいたり、歌を歌う等、相手を惑わせることを日常的に行ったが、二上は盤上での勝負にこだわり盤外戦を行わなかった。二上だけでなく戦後の棋士達はそうした行為をしない傾向があった。

故人が残した名言集【11月1日】

二上達也さんの残した言葉【将棋棋士】1932年1月2日~2016年11月1日 「大山さんの負けじ魂は尋常ではなかった。私は将棋は技術の勝負だととらえていたが、大山さんは人間対人間の勝負にもちこもうとしていたのである。私の指し手よりも私という人間を研究していた」 「若手・中堅の棋士たちが将棋研究に打ち込む熱心さをもう少し将棋普及のためにも積極的に向けてもらえればいいのですが」 「ここは師匠の意地を見せてやろうと気合を入れたが、結果は私の完敗だった。このとき引退を決意した」 (弟子の羽生善治と初対戦で完敗) 将棋棋士。渡辺東一名誉九段門下で棋士番号は57。タイトル獲得通算5期。1990年引退。 1989年から2002年にかけて日本将棋連盟会長を務めた。 加藤治郎・原田泰夫の後任として将棋ペンクラブ名誉会長でもあった。 弟子に羽生善治がいる。 ジョージ川口さんの残した言葉【ジャズドラムスの神様】1927年6月15日~2003年11月1日 「ドラムは命。死ぬまで現役」 日本のドラム奏者。 本名は、川口 譲治。 「ジャズドラムスの神様」と呼ばれた。 終戦時は陸軍少年航空兵として訓練を受けていた。ジャズ奏者の父親の影響で戦後から米軍クラブなどで演奏活動を始め1953年に松本英彦、中村八大、小野満と共にバンド「ビッグ・フォア」を結成して活躍、1950年代に大衆的人気を誇った。 ジャズを広く普及させ、また多くの若手を育成した功績を評価され、芸術選奨文部大臣賞、紫綬褒章などを受賞している。 他ジャンルとの競演もこなしており、和太鼓奏者の小口大八とのセッションは幾度と無く行われた。 越路吹雪のバンド「ロイヤルポップスオーケストラ」のドラムとしても活躍。 豪放磊落な性格で幅広い世代から愛された人物である。 千秋実さんの残した言葉【俳優】1999年11月1日 「カッコ悪くたっていいのだ。カッコ悪さを恐れてはいけない。恥ずかしがってはいけない。どんな格好でも真剣に生きる姿は美しいのだ。」 日本の俳優。 妻の女優佐々木踏絵とともに薔薇座を結成して舞台で活動後、映画俳優に転向し、黒澤明監督作品の常連俳優として活躍。 テレビドラマでもホームドラマを中心に人気を得た。主な作品に『七人の侍』『隠し砦の三悪人』『花いちもんめ。』など。著書に妻との共著『わが