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佐山雅弘さんの残した最後の言葉【ジャズピアニスト】1953年11月26日~2018年11月14日

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みなさま。 佐山雅弘より このお手紙がお手元に届く時、僕はこの世におりませんが、長きに亘ってのお付き合いにお礼を言いたくて家人に託しました。 加山雄三とタイガースが大好きな中学生。高度成長期大阪の衛星都市尼崎に親父が構えた小~さな小売商を継ぐことに何の疑念も持たないごく普通(以下)の子供がジャズとの出会いで、楽しさこの上ない人生を送ってしまいました。 まことに人生は出会いであります。 「君の身体は君の食べたモノで出来ている」と言いますが、まったく同様に僕という者は僕が出会った人々で出来ているのだとしみじみ実感したことです。 その出会いを皆様にあらためて感謝しつつ、今後益々の良き日日を祈りながらお別れをします。 ありがとう、さようなら 2018年11月14日 佐山雅弘 (最後のメッセージ) 日本のジャズピアニスト、作曲家。兵庫県尼崎市出身。射手座、AB型。 小学生の頃、幼馴染の好きな女の子がピアノを習っていたのがきっかけでピアノを弾き始める。 中学1年生の頃にピアノを習うのを一時辞めるが、中学2年生の時叔父に誘われて行ったオスカー・ピーターソンのライブに感銘を受け、ジャズに目覚める。 国立音楽大学作曲科に入学するもピアニストとしてプロの仕事が増え、中退。RCサクセションのゴンタ2号は学友だった。 1976年、RCサクセションのライブやレコーディングをサポート。当時は「セクシー佐山」というステージ・ネームだった。 以後、東京交響楽団、木野雅之(ヴァイオリン)、松田昌(ピアニカ)、瀬木貴将(サンポーニャ&ケーナ)、平野レミ(シャンソン歌手)、伊太地山伝兵衛(歌手、ギタリスト)などジャズの枠を超えたアーティストとも共演し、ジャンルを問わず幅広く活動した。プリズムの元メンバーでもある。 デューク・エイセスの音楽監督、アレンジ、楽曲提供者としても活躍した。 影響されたミュージシャンはチック・コリア、ハービー・ハンコック。好きなものはワインと麻雀、ポールウィンナーソーセージ。