投稿

ラベル(9月24日)が付いた投稿を表示しています

ドクター・スースさんの残した言葉【絵本作家】1904年3月2日~1991年9月24日

イメージ
「Don’t cry because it’s over, smile because it happened.」 (おしまいだからって泣かないで、それが経験できたことに笑顔になろうよ。) 「You know you’re in love when you can’t fall asleep because reality is finally better than your dreams.」 (恋に落ちると眠れなくなるでしょう。 だって、ようやく現実が夢より素敵になったんだから。) 「I like nonsense, it wakes up the brain cells. Fantasy is a necessary ingredient in living.」 (私はナンセンスが好きだ。それは脳細胞を目覚めさせる。ファンタジーは生活に不可欠の原料である。) 「Sometimes the questions are complicated and the answers are simple.」 (時として問題は複雑であり、答えは簡単である。) 「Today you are You, that is truer than true. There is no one alive who is Youer than You.」 (今日という日、君は君だった。これは真実よりも確かなこと。君よりも君らしい人なんて、この世には存在しないんだよ。) 「Be who you are and say what you feel, because those who mind don’t matter and those who matter don’t mind.」 (自分らしく、思ったままを言葉にしていいんだよ。だってあれこれとやかく言う人を大事にする必要はないんだし、君が大事にしたいと思う人はあれこれとやかく言わないもんさ。) 「A person’s a person, no matter how small.」 (人は人だよ。どんなに小さくても関係ない。) 「From there to here, from here to there, funny things are everywhere!」 (向こうからここまで、ここから向こうまで、面白いことはどこに...

西郷隆盛さんの残した辞世の句【西郷どん】1828年1月23日~1877年9月24日

イメージ
「二つなき 道にこの身を 捨て小舟 波立たばとて 風吹かばとて」 (辞世の句) 日本の武士、軍人、政治家。 薩摩国薩摩藩の下級藩士・西郷吉兵衛隆盛の長男。名は元服時には隆永、のちに武雄、隆盛と改めた。幼名は小吉、通称は吉之介、善兵衛、吉兵衛、吉之助と順次変えた。号は南洲。

西郷隆盛さんの残した言葉【西郷どん】1828年1月23日~1877年9月24日

イメージ
「正論では革命をおこせない。革命をおこすものは僻論である。」 「徳に勤むる者は、これを求めずして、財自から生ず。」 「小人は己を利せんと欲し、君子は民を利せんと欲す。己を利する者は私、民を利する者は公なり。公なる者は栄え、私なる者は亡ぶ。」 「世の中で、人からそしられたり誉められたりするといったことは、塵のように儚く消え去ってしまうものである。」 「思い切ってやりなさい。責任は私がとる。」 「漢学を勉強した者は、ますます漢書から道を学ぶのがよい。人が踏み行うべき道は、この天地のおのずからなる道理であるから、東洋・西洋の区別はないのである。もしも現在の万国対峙の形勢について知りたいと思うならば、漢書の『春秋左氏伝』を熟読し、さらに『孫子』で補えばよい。当時の形勢も今の情勢とほとんど大差ないだろう。」 「急速は事を破り、寧耐は事を成す。」 「物事に取り組む際、自分の思慮の浅さを心配することはない。およそ思慮というものは、黙って座り、静かに思いをめぐらしているときにすべきことである。そのようにすれば、有事のときには、十のうち八、九は実行されるものだ。 事件に遭遇して、はじめて考えてみても、それは寝ているときに夢の中で奇策やすばらしい思いつきを得たとしても、朝起きたときには、役に立たない妄想のたぐいが多いのと同じである。」 「自分の身を慎み、心を正して、君子の体を備えていても、事にあたって、正しく対処できない人は、木の人形と同じだ。たとえば、突然数十人の来客があった場合、どんなにもてなしたいと思っても、前もって器具や調度の備えをしていなければ、ただおろおろと心配するだけで、もてなすことなどできはしない。つねに備えをしておくなら、何人であろうとも、数に応じてもてなすことができよう。だから、普段の準備が大事なのだといって次の古語を書いてくださった。文は鉛と板のことをいうのではない。必ず事を処する才がある。武は剣と楯のことをいうのではない。必ず敵をはかる智がある。才智のあるところは一箇所のみなのだ。」 「西郷先生に従って、犬を走らせて兎を追い、山谷をめぐり歩いて終日狩りをして過ごし、一軒の農家に宿を借り、風呂から上がって、爽快きわまりないといったご様子で、ゆったりと、君子の心はつねにこのようにさわやかなものであろうと思う、と言われた。」 「今の人は、才能や知識...

西郷隆盛さんの残した最後の言葉【西郷どん】1828年1月23日~1877年9月24日

イメージ
「もうここらでよか」 (死を決意し、介錯を頼んだ別府晋介に) (最後の言葉) 日本の武士、軍人、政治家。 薩摩国薩摩藩の下級藩士・西郷吉兵衛隆盛の長男。名は元服時には隆永、のちに武雄、隆盛と改めた。幼名は小吉、通称は吉之介、善兵衛、吉兵衛、吉之助と順次変えた。号は南洲。

丹波哲郎さんの残した言葉【大霊界】1922年7月17日~2006年9月24日

イメージ
「死後の世界はあるんです」 「世のため、人のために尽くし明るい笑顔で人生を頑張ったのちには、それに見合った素晴らしい世界があります」 日本の俳優・芸能プロモーター・心霊研究家。 東京府豊多摩郡大久保町出身。 身長175cm。血液型はO型。 俳優活動は50年以上で出演した映画は外国映画10本を含んだ300本以上に及ぶ名優。 テレビドラマでも活躍し、映画製作にも携わった。

山内賢さんの残した最後の言葉【日活の青春スター】1943年12月9日~2011年9月24日

イメージ
「みんなに感謝」 (最後の言葉) 日本の俳優・歌手・司会者。 多くの日活映画に出演する。第一作目は『雲に向かって起つ』(石原裕次郎主演)。1960年代にブームとなる日活純愛・青春路線を支えた。和泉雅子との共演作が多く、なかでも鈴木清順が監督した『悪太郎』『悪太郎伝 悪い星の下でも』は、代表作である。また、舟木一夫とも多く共演した。 歌唱及びギターを得意としており、1962年には日活の俳優仲間であった和田浩治、杉山俊夫、杉山元、木下雅弘とともにヤング・アンド・フレッシュというバンドを結成し、レコードをリリース、また彼らをフィーチャーした映画も数本製作された。1966年には和泉雅子とのデュエット曲『二人の銀座』、『東京ナイト』が大ヒットし、同名の映画も製作された。 日本映画の衰退とともに活動をテレビに移し歌手そしてドラマや司会などで活躍する。1979年から6年にわたり放送された『あばれはっちゃくシリーズ』の先生役や1983年、1997年、1998年放送のNHK『趣味講座』(釣り、登山)などで人気を博す。

福島菊次郎さんの残した言葉【写真家】1921年3月15日~2015年9月24日

イメージ
「オモテに出ないものを引っ張り出して、叩きつけてやりたい」 「根源的な意味で言えば、日本全体が嘘っぱち」 日本の写真家、ジャーナリスト、ノンフィクション作家。 山口県下松市に、網元の四男として生まれる。1944年春に出征し、広島西部第10部隊に配属され、弾薬や物資を馬で運搬する任務に就くが、訓練中に馬に蹴られて骨折し、除隊となる(同部隊は福島の入院中に船で沖縄へ向かったが、魚雷に撃沈された)。1945年春に再召集。部隊が本土決戦の際に爆雷を背負って戦車に飛び込むよう命を受け、7月31日から日南海岸の砂浜に掘った穴の中に身を潜め、8月15日の終戦を迎えた。同月末に復員し、時計店を開いて時計修理や写真現像の仕事を始める。同年暮れに結婚。 戦後、民生委員などの社会事業を通じて作家活動をはじめ、広島市に投下された原爆の被災者の10年におよぶ困窮生活を活写した作品『ピカドン ある原爆被災者の記録』が、日本写真評論家協会賞特別賞を受賞(1960年)。しかし「ピカドン」の撮影で、被写体となった被爆者の凄惨な生活状況を間近に見続けたことで幻聴や幻覚に襲われ、精神衰弱の診断を受けて精神科に3か月入院し、時計店の経営も傾いたことなどもあって離婚。1961年、3人の子どもを連れ上京しプロ写真家となる。土門拳、木村伊兵衛が審査員を務める「カメラ(CAMERA)」の月例コンテストに応募していたこともある。 原爆、政治・軍事問題、学生運動、公害・福祉問題などをライフワークとし、「ピカドン」など17回の個展を開き12冊の写真集がある。中近東、アラブ、ソビエト連邦などに長期にわたる取材もこなした。作品は、『中央公論』、『文藝春秋』、『朝日ジャーナル』などの総合雑誌グラビアで約3300点が発表されている。また、「写真で見る戦争責任展」などの写真展を全国510会場で開催した。 1969年、1年以上かけての「迫る危機」の撮影では、防衛庁(当時)を信用させ、兵器工場内の取材を許されたが、撮影禁止箇所を隠し撮りして無断で公表した。その後、暴漢に刃物で切り付けられ、鼻骨を折って10針縫う重傷を負い、その1か月後には自宅を放火された。ただし、家に保管されていたネガは娘が持ち出して無事であった。 1982年、自給自足の生活を目指し瀬戸内海の無人島に入植。1987年、検診で胃癌が見つかり、山口県柳井市...

川島なお美さんの残した言葉【女優】1960年11月10日~2015年9月24日

イメージ
「乾杯の数だけ、人は幸せになれる。」 「前回のシャワーシーンでは体が濡れましたけど、今回は心が濡れました。」 「もう50才のおばさんよ、なんて年齢を恥じたらダメ。私はね、女性は年齢の数が増えるごとに輝きも増す生き物だと思うの。そう、ダイヤと同じ。『50カラットおめでとう』って言われたらうれしいじゃない?」 「女性の年齢の単位は、『才』ではなく、『カラット』なのよ。」 「オトコを引き止めるために嘘の涙を使ってこなかった分、悲しいときや悔しいとき、素直に彼の胸で泣いたっていいんです。強そうに見える女が、いざというときに流す、安っぽくない本物の涙だけは、価値があるんですから。」 「男のイビキが、生理的に我慢できなかった。旦那はんのイビキだけはなぜか許せてしまった。今では心地よい音楽みたいなもんです。」 「男を飽きさせない工夫をいろいろしてるんです(笑)。」 「もちろん、女だって浮気をさせない努力をしています。」 「ヴィンテージとか、作り手とか、グラスとか、どんなお料理とかももちろん大事ですけど、一番大事なのは、誰と飲むか。一杯300円のワインでも、好きな人と飲んだら味わい深いものになりますよ。」 「チーズの言葉がわかる自分になれて、よかった。」 「一生分飲んだので、量を飲まなくても見ただけで味も品種もわかります。」 「私という名のワインを完熟に向かわせてくれる器にようやく出会えた。 彼という器の中で熟成していければと思います。」 「20代って女の春だと思うの……30代は女の夏。私、いま夏。」 「彼の影響で今は焼酎が混ざってます。」 「ワインが好きとか嫌いじゃなくて、私の体はワインでできているの。私の血も肉もワイン。」 日本の女優、タレント、歌手である。 戸籍名は、鎧塚 なお美。 血液型はAB型。 二人姉妹の長女。 愛知県守山市出身。 2010年6月より太田プロダクション所属。 夫はパティシエの鎧塚俊彦。

川島なお美さんの残した遺書【女優】1960年11月10日~2015年9月24日

イメージ
遺書 私は蝶となって 咲きみだれるお花から花へと舞い 毎年咲く桜となって花ふぶきをお客様に散らし たわわに実る果実となってあなたの作品として美味しくお皿の上にのります 美しく生き生きとしたファームガーデンは私の夢です その夢をかなえて下さい 今までありがとう なお美より 日本の女優、タレント、歌手である。 戸籍名は、鎧塚 なお美。 血液型はAB型。 二人姉妹の長女。 愛知県守山市出身。 2010年6月より太田プロダクション所属。 夫はパティシエの鎧塚俊彦。

故人が残した名言集【9月24日】

川島なお美さんの残した言葉【女優】1960年11月10日~2015年9月24日 「乾杯の数だけ、人は幸せになれる。」 「前回のシャワーシーンでは体が濡れましたけど、今回は心が濡れました。」 「もう50才のおばさんよ、なんて年齢を恥じたらダメ。私はね、女性は年齢の数が増えるごとに輝きも増す生き物だと思うの。そう、ダイヤと同じ。『50カラットおめでとう』って言われたらうれしいじゃない?」 「女性の年齢の単位は、『才』ではなく、『カラット』なのよ。」 「オトコを引き止めるために嘘の涙を使ってこなかった分、悲しいときや悔しいとき、素直に彼の胸で泣いたっていいんです。強そうに見える女が、いざというときに流す、安っぽくない本物の涙だけは、価値があるんですから。」 「男のイビキが、生理的に我慢できなかった。旦那はんのイビキだけはなぜか許せてしまった。今では心地よい音楽みたいなもんです。」  「男を飽きさせない工夫をいろいろしてるんです(笑)。」 「もちろん、女だって浮気をさせない努力をしています。」 「ヴィンテージとか、作り手とか、グラスとか、どんなお料理とかももちろん大事ですけど、一番大事なのは、誰と飲むか。一杯300円のワインでも、好きな人と飲んだら味わい深いものになりますよ。」 「チーズの言葉がわかる自分になれて、よかった。」 「一生分飲んだので、量を飲まなくても見ただけで味も品種もわかります。」 「私という名のワインを完熟に向かわせてくれる器にようやく出会えた。 彼という器の中で熟成していければと思います。」 「20代って女の春だと思うの……30代は女の夏。私、いま夏。」 「彼の影響で今は焼酎が混ざってます。」 「ワインが好きとか嫌いじゃなくて、私の体はワインでできているの。私の血も肉もワイン。」 遺書 私は蝶となって 咲きみだれるお花から花へと舞い 毎年咲く桜となって花ふぶきをお客様に散らし たわわに実る果実となってあなたの作品として美味しくお皿の上にのります 美しく生き生きとしたファームガーデンは私の夢です その夢をかなえて下さい 今までありがとう なお美より 日本の女優、タレント、歌手である。 戸籍名は、鎧塚 なお美。 血液型はAB型。 二人姉妹の長女。 愛知県守山...