投稿

ラベル(6月30日)が付いた投稿を表示しています

柴田錬三郎さんの残した最後の言葉【ノンフィクション作家】1917年3月26日~1978年6月30日

イメージ
「あいよ~ あいよ~」  死ぬ間際まで声をかけた相手に返答していた。最期は手を振って死去。 (最後の言葉) 日本の小説家、ノンフィクション作家、中国文学者。本名は齋藤 錬三郎。シバレンという通称でも名高い。 歴史小説に新風を送ったことで業績は名高い。『イエスの裔』は芥川賞と直木賞の両方の候補となったが天秤にかけて直木賞を受賞し、その後選考委員となる。

柴田錬三郎さんの残した言葉【ノンフィクション作家】1917年3月26日~1978年6月30日

イメージ
「手相は、てのひらの皺だろう。てのひらの皺だけが、その人間の人生の未来を予言できて、足の裏の皺は、無意味ではないか。手にあろうと、足の裏にあろうと、皺は皺だ。」 「親の心の中に子がおり、子の心の中に親がおる、それが親子である。」 「人の生涯の短さは、私のような一見ふてぶてしい男にも、五十五年を生きて、いったい、おれは何をしたのか、と反省させる。反省は、しかし、精神の浄化にはむすびつかない。」 「『はやく、死んでしまえ』こう云われて、くやしかったら、生きてみろ!」 (大学受験に失敗して自殺を考えていたとある高校生への言葉) 日本の小説家、ノンフィクション作家、中国文学者。本名は齋藤 錬三郎。シバレンという通称でも名高い。 歴史小説に新風を送ったことで業績は名高い。『イエスの裔』は芥川賞と直木賞の両方の候補となったが天秤にかけて直木賞を受賞し、その後選考委員となる。

吉田晴乃さんの残した言葉【実業家】1964年4月30日~2019年6月30日

イメージ
「私は男女雇用機会均等法が施行されて2年目の年代ですが、大学の成績が悪かったから、親のコネでどうにか大手企業から内定をもらいました。ところが卒業時に原因不明の病気になり、4年間も入院。社会復帰した時には26歳になっていました。もう日本企業ではキャリアを積めない。居場所がなくなったので外資系企業にキャリアの道を求めるしかありませんでした。最初に就職したのはモトローラ・ジャパンです。そこで通信という新しい産業と、グローバルにビジネスを展開する面白さに目覚め、仕事にのめり込みました。」 「29歳の時、親の反対を押し切ってカナダ人と結婚し、娘が1歳になる前に夫の都合でカナダに渡りました。私は異国で職を探し、現地の通信会社で営業職として働き始めます。日本人向けのお土産用としてカナダの風景をプリントしたテレホンカードの販売を提案し、街中の店に置いてもらえるように営業しました。また、日本との割安な国際電話プランを提案したところ、これが大当たり。売り上げという数字で結果を出すことで、女性だから、日本人だからといった差別はなくなりました。」 「お子さんがいる方は、ぜひ子育ての経験を大切にしてください。その時期は子育てを優先するのもあり。どうぞエンジョイして。今になって思うのは、子供に愛情を注ぐことがどれほどビジネスパーソンとしての自分を成長させるかということ。子育てには、企業が高いお金を出して提供するリーダーシップトレーニングのすべての要素が入っている。リスクマネジメント、タイムマネジメント、セルフコントロール、ファイナンシャルコントロール……。MBAなんか取りに行く必要はありません。どんなマニュアルにも載っていない知恵が、子供を持った瞬間にDNAからあふれ出てきます。社員みんなが母親のようなメンタリティーで仕事に臨んだら、会社はどれだけ生産性が高くなることか。」 「数字に徹底的にこだわって、数字で自己主張してほしい。ビジネスは数字がすべてです。数字は否定しようのないユニバーサルランゲージ。数字を上げて会社に貢献すれば、必ず評価されます。能力があるなら昇進して当然じゃないですか。私が現在のポジションまで来られたのは、とにかく数字を上げて実績を示してきたからです。実際、『ガラスの天井』を感じたことはありません。」 「戦後70年間、日本人は復興するためにロボットのように働いてきま

故人が残した名言集【6月30日】

吉田晴乃さんの残した言葉【実業家】1964年4月30日~2019年6月30日 「私は男女雇用機会均等法が施行されて2年目の年代ですが、大学の成績が悪かったから、親のコネでどうにか大手企業から内定をもらいました。ところが卒業時に原因不明の病気になり、4年間も入院。社会復帰した時には26歳になっていました。もう日本企業ではキャリアを積めない。居場所がなくなったので外資系企業にキャリアの道を求めるしかありませんでした。最初に就職したのはモトローラ・ジャパンです。そこで通信という新しい産業と、グローバルにビジネスを展開する面白さに目覚め、仕事にのめり込みました。」 「29歳の時、親の反対を押し切ってカナダ人と結婚し、娘が1歳になる前に夫の都合でカナダに渡りました。私は異国で職を探し、現地の通信会社で営業職として働き始めます。日本人向けのお土産用としてカナダの風景をプリントしたテレホンカードの販売を提案し、街中の店に置いてもらえるように営業しました。また、日本との割安な国際電話プランを提案したところ、これが大当たり。売り上げという数字で結果を出すことで、女性だから、日本人だからといった差別はなくなりました。」 「お子さんがいる方は、ぜひ子育ての経験を大切にしてください。その時期は子育てを優先するのもあり。どうぞエンジョイして。今になって思うのは、子供に愛情を注ぐことがどれほどビジネスパーソンとしての自分を成長させるかということ。子育てには、企業が高いお金を出して提供するリーダーシップトレーニングのすべての要素が入っている。リスクマネジメント、タイムマネジメント、セルフコントロール、ファイナンシャルコントロール……。MBAなんか取りに行く必要はありません。どんなマニュアルにも載っていない知恵が、子供を持った瞬間にDNAからあふれ出てきます。社員みんなが母親のようなメンタリティーで仕事に臨んだら、会社はどれだけ生産性が高くなることか。」 「数字に徹底的にこだわって、数字で自己主張してほしい。ビジネスは数字がすべてです。数字は否定しようのないユニバーサルランゲージ。数字を上げて会社に貢献すれば、必ず評価されます。能力があるなら昇進して当然じゃないですか。私が現在のポジションまで来られたのは、とにかく数字を上げて実績を示してきたからです。実際、『ガラスの天井』を感じたことはあ