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白鷹幸伯さんの残した言葉【千年の釘】1935年8月6日~2017年6月6日

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「千年後の鍛冶屋が、千年前にもこんな釘を打つ鍛冶屋がいたのかと思ってくれればそれでいい。」 鍛冶職人。土佐鍛冶の流れをくむ刃物作り。法隆寺宮大工・西岡常一と出合い,白鳳期建造物の復元のため,千年の年月にたえる「千年の釘」の鍛造にとりくむ。 1935年(昭和10年)愛媛県松山市生まれ。9歳の頃から父の向こう槌を打ち、農具・荷馬車の輪鉄・木造建築金具などの製法を覚える。高校卒業後、土佐鍛冶の兄から山林用刃物・鎌・包丁等の製法を習う。1961年(昭和36年)上京、日本橋木屋に就職。1971年(昭和46年)法隆寺宮大工・西岡常一棟梁と出合い、白鳳期建造物の復元のため、千年の年月にたえる「千年の釘」の鍛造にとりくむ。この錆につよい釘は奈良薬師寺の西塔、大講堂の復元に供され、日本の建築文化財保護に貢献。翌年、木屋を退職、郷里に帰り鍛冶に専念。西岡棟梁の依頼で薬師寺再建のための白鳳型和釘の鍛造を行う。