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樋口一葉さんの残した最後の言葉【たけくらべ】1872年5月2日~1896年11月23日

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「その時分には、私は何になっていましょう、石にでもなっていましょうか。」 (亡くなる20日前、お見舞いにきた教師の馬場から「冬休みにまた上京しますから、そのときまた参りましょう。」への返答。) (最後の言葉) 日本の小説家。東京生まれ。戸籍名は「奈津」だが本人は「夏子」と名乗ることが多かった。 中島歌子に歌、古典を学び、半井桃水に小説を学ぶ。生活に苦しみながら、「たけくらべ」「にごりえ」「十三夜」といった秀作を発表、文壇から絶賛される。わずか1年半でこれらの作品を送ったが、24歳6ヶ月で肺結核により死去。 没後に発表された『一葉日記』も高い評価を受けている。

樋口一葉さんの残した辞世の句【たけくらべ】1872年5月2日~1896年11月23日

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「身はもと江湖の一扁舟、みずから一葉となのって、芦の葉のあやうきをしるといえども、波静かにしては釣魚自然のたのしみをわするるあたわず。よしや海龍王のいかりにふれて、狂うらん、たちまち、それも何かは、さりとはの浮世は三分五里霧中」 (辞世の句) 日本の小説家。東京生まれ。戸籍名は「奈津」だが本人は「夏子」と名乗ることが多かった。 中島歌子に歌、古典を学び、半井桃水に小説を学ぶ。生活に苦しみながら、「たけくらべ」「にごりえ」「十三夜」といった秀作を発表、文壇から絶賛される。わずか1年半でこれらの作品を送ったが、24歳6ヶ月で肺結核により死去。 没後に発表された『一葉日記』も高い評価を受けている。

樋口一葉さんの残した言葉【たけくらべ】1872年5月2日~1896年11月23日

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「このよ ほろびざる限り わが詩は ひとのいのちとなりぬべきなり」 「行水にも淵瀬あり、人の世に窮達なからめやは」 「恐ろしきは涙の後の女子心なり。」 「利欲にはしれる浮き世の人あさましく、厭わしく、これゆえにかく狂えるかと見れば、金銀はほとんど塵芥の様にぞ覚えし。」 「みなさまが野辺をそぞろ歩いておいでの時には、蝶にでもなって、お袖のあたりに戯れまつわりましょう。」 「丸うならねば思う事は遂げられまじ。」 「只世にをかしくて、あやしく、のどかに、やはらかに、悲しく、おもしろきものは『恋』とこそ言はめ。」 「恋とは尊くあさましく無残なものなり。」 「せつなる恋の心は、尊きこと神のごとし。」 「身をすてつるなれば 世の中の事 何かはおそろしからん。」 「色に迷う人は迷えばいい。情に狂う人は狂えばいい。この世で一歩でも天に近づけば、自然と天が機会を与えてくれるだろう。」 「分けのぼる道はよしかはるとも、終には我も人もひとしかるべし。」 日本の小説家。東京生まれ。戸籍名は「奈津」だが本人は「夏子」と名乗ることが多かった。 中島歌子に歌、古典を学び、半井桃水に小説を学ぶ。生活に苦しみながら、「たけくらべ」「にごりえ」「十三夜」といった秀作を発表、文壇から絶賛される。わずか1年半でこれらの作品を送ったが、24歳6ヶ月で肺結核により死去。 没後に発表された『一葉日記』も高い評価を受けている。