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池田貴族さんの残した最後の言葉【霊感タレント】1963年5月8日~1999年12月25日

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「行かなくてもいいんじゃないか。ずっと一緒にいたいんだ」 (娘のクリスマスプレゼントを買うために病室を出ようとする妻へ) (最後の言葉) 日本のミュージシャン、評論家、作家、心霊研究家。本名は池田 貴。 愛知県名古屋市出身。ホリプロ所属。1990年、ロックバンド・remoteのボーカリストとしてシングル「NO!」でデビュー。その後、音楽活動以外にも霊感タレントとしてテレビ番組などへの出演で知られる。左利き。娘はインディーズ歌手の池田美夕。 バンド活動を続けながらも、テレビ朝日の『プレステージ』などにて霊感能力を発揮し、以後霊能タレントとして活躍するようになる。幼少時からは見知らぬ人に、未来のことを教えられることがあり、その人達は周囲に見えていなかったようである。 きっかけは、ホコ天時代に心霊写真が偶然撮影されたことである。具体的な霊能力としては、心霊スポットなどに行くと、そこで起きた事件などが頭に浮かぶという。なお、父親は真言密教の霊能師であり、母も強い霊感を持っているという。霊能力者としての師匠は池田辰雄。パワーストーンなどについても造詣が深い。

飯島愛さんの残した言葉【タレント】1972年10月31日~2008年12月17日

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「悩み事はお金になるんだ。でも、お金がないと人を助けられないんだ。」 「誰かの悩みに救われるコトもある。あ、私も!!!って… 独りで抱えるのはキツいね、カッコつけて生きていたら肩が凝るし。傷つくの恐くて、電化製品でさえ触る前に取り説を読むことを覚ちゃってる。」 「男は SEXをするまで女を褒めるし優しい。やる為だ。女はSEXをしてから男に素直に成れる。裸に成ったからだ。そんな気がする。上辺の優しい言葉は人を酔わせる。でも本当の優しさは人の涙を誘う。」 日本の元AV女優、タレントである。本名:大久保 松恵。株式会社Thesis元代表取締役。東京都江東区出身。瀧野川女子学園高等学校中退。元ワタナベエンターテインメント所属。 タレント転身以降のテレビ番組への出演の際は、露出の多い服装でボディラインや脚線美を魅せる「お色気担当」として活躍すると同時に、クイズ番組等では珍解答を連発する、いわゆる「おバカタレント」としても活躍した反面、芸能、政治、スポーツなどの各分野で本音や自身の主張を展開した。

小沢昭一さんの残した言葉【小沢昭一的こころ】1929年4月6日~2012年12月10日

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「人間がみんなで一緒に豊かになるのがいいことなのか、それとも、豊かな人と、そうでない人がいる矛盾した世の中を、だから創造力が生まれるんだと肯定するのか。あるいは、一転、みんなでそろって適当に貧しくなるという第三の道を、今こそ考えてみる必要はないのか。」 「正義の戦争より不正義の平和」 「幸せはささやかなるが極上」 日本の俳優、タレント、俳人、エッセイスト、芸能研究者、元放送大学客員教授。日本新劇俳優協会会長。俳号は小沢 変哲。劇団「しゃぼん玉座」主宰。見世物学会顧問。 1973年(昭和48年)には、TBSラジオの『小沢昭一の小沢昭一的こころ』が放送開始される。 2012年9月24日放送分以降、テーマは「新宿今昔について考える」のはずだったが体調不良のため未収録となり小沢本人の収録は通算10355回で打ち切られた。

野村沙知代さんの残した最後の言葉【サッチー】1932年3月26日~2017年12月8日

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「大丈夫よ」 (自宅で倒れた際に「大丈夫か」との夫・克也さんの問いかけに) (最後の言葉) 日本のタレント。元プロ野球選手・プロ野球監督である野村克也の妻として知られる。 愛称は「サッチー」。これは『森田一義アワー 笑っていいとも!』で共演した中居正広から「サッチー」と名付けられたという。

野村沙知代さんの残した言葉【サッチー】1932年3月26日~2017年12月8日

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「休みは男の敵なり」 「男は、死ぬまで働け」 「持ちつ持たれず、構わず構われず」 (夫婦円満の秘訣) 「言葉を知らないなら、本を読みなさい!」 「なんとかなるわよ」 (夫・克也さんが南海ホークスを女性問題で、クビになった際に) 日本のタレント。元プロ野球選手・プロ野球監督である野村克也の妻として知られる。 愛称は「サッチー」。これは『森田一義アワー 笑っていいとも!』で共演した中居正広から「サッチー」と名付けられたという。

桜塚やっくんの残した最後の言葉【お笑いタレント】1976年9月24日~2013年10月5日

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「またすぐに迎えに来るからね。」 (愛犬のシェリーに) (最後の言葉) 神奈川県出身の男性お笑いタレント、声優、俳優、歌手である。 以前はジャニーズ事務所に所属しており、本名の斎藤 恭央で活動していた。 日本大学高等学校、日本大学芸術学部映画学科演技コース卒業。 トップコートを退所後、個人事務所を設立。血液型B型。 日本女装協会会長を務めた。

堀江しのぶ さんの残した最後の言葉【タレント】1965年8月18日~1988年9月13日

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「社長、仕事が、したい・・・。」 (最後の言葉) 日本の女優・タレント。血液型はA型。愛知県出身。 明るいキャラクターと健康的なプロポーションで人気アイドルとなり、ドラマやバラエティで活躍していた。巨乳ブームの先駆けでもあった。

土建屋よしゆき さんの残した最後の言葉【タレント】1955年10月25日~2014年7月31日

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「師匠より長生きしたかったなあ」 (お見舞いに来た、公私に親交が深かった円広志さんへ) (最後の言葉) 京都府京都市伏見区に在住し、主に関西で活動していたタレント。本名:廣部 吉行。所属事務所はオフィスとんで。 本業は“土建屋(土木建設業)”の大型重機オペレーターであり、土建屋の格好をしているのが特徴。島田紳助とは学生時代からの同級生で、一時期は紳助の番組に多数出演していた。趣味はモータースポーツ全般。

宮尾すすむ さんの残した言葉【タレント】1934年3月8日~2011年7月12日

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「人生はたらいの水。たらいの水は、自分の方に引き寄せようとすれば、両手からあふれて、反対側に流れてしまうけど、反対側に押しやろうとすれば、自分の方に戻ってくる。」 日本のタレント、司会者。本名は山口 進。 登場する時、顔の前で両手を交差させて、右手の平を右アゴに添えて「……ハイッ!」と叫ぶ決めポーズで一躍有名になる。母親の仕草をモチーフにしたといわれている。

大橋巨泉さんの残した言葉【タレント】1934年3月22日~2016年7月12日

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「人間の欲は無限であるから、あれもこれもと思うのはわかる。でも結果はアブハチ取らずになるのが関の山だ。そんな時、こう考えることにしている。『今回の人生ではやめておこう』」 「You can’t have everything」 (何もかも思い通りにはならない) 「ボクの場合は、いつも1個か2個、しかも手術可能なところに転移してきた。こういう人はタマにいて、結構生きるんだそうだ。だからこの状況が続くかぎり、出てくる癌を『モグラ叩き』のようにやっつける事にしている。」 「パートナーは妻でなくてもいい、こいつの顔は見たくもないという女房だったら、すぐ離婚しなさい。」 「星で食うならバカでも食える。」 「戦争は爺さんが決めて、おっさんが命令して、若者が死ぬ。」 「日本人ほど『ありがとう』という言葉を、 口にしない民族はそうそういませんね。」 「仕事がうまくいかなくなると充電と称して、アメリカへ行ったりするタレントがいるだろ? 馬鹿なんだよね。だってよく考えてごらん。電気カミソリの電気がきれてから充電しても間に合わないんだよね。」 「どんなに才能があっても、毎日出ていて、同じようなことをやっていれば飽きられるのは当然だ。」 「僕の持論は『人間、運の総量は同じ』だからそれをどこで使うかなんだ。」 「人に助言を与えることにも用心深くしよう。 賢い人はそれを必要としないし、 愚かな人は心に留めないだろうから。」 日本のタレント、放送作家、エッセイスト、評論家、馬主、政治家、実業家・芸能プロモーター。オーケーエンタープライズ所属。 本名:大橋 克巳。芸名の「巨泉」は元々は自身の俳号である。多くの芸能人や関係者が「巨泉」「巨泉さん」と呼び、「大橋」と呼ばれることは皆無に近い。

永六輔さんの残した言葉【タレント】1933年4月10日~2016年7月7日

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「人の死は二度ある。 最初の死は、肉体の死。 でも、死者を覚えている人がいる限り、その人の心の中で生き続けている。 最後の死は、死者を覚えている人が誰もいなくなったとき。 そう僕は思っています。」 「僕の父の逝った日の妙な安堵感を 想い起しています。」 「家族のために 死んでみせることが最後にできること。 その姿勢こそがいちばん大事。」 「死んだっていうからおかしいんだよ。 先に行っただけなんだから。」 「生きているということは、誰かに借りをつくること。 生きていくということは、その借りを返してゆくこと。 誰かに借りたら誰かに返そう。 誰かにそうして貰ったように、誰かにそうしてあげよう。」 「家庭というのはこんがらがった糸ですよ。 こんがらがってるから家庭なんです。 ほどくとバラバラになっちゃいますよ。」 「いいですか。夫婦ったって、アカの他人ですよ。 アカの他人どうしが起こす奇蹟。 それが夫婦というものです。」 「文句を言ってても1日。 ニコニコしていても1日。 だったら、人あたりのいい1日の方がいいんじゃないかい?」 「人間、今が一番若いんだよ。 明日より今日の方が若いんだから。 いつだって、その人にとって今が一番若いんだよ。」 日本のラジオ番組パーソナリティ、タレント、随筆家。元放送作家、作詞家である。本名は永 孝雄。晩年の所属事務所は「オフィス六丁目」だった。 角刈り頭と細長い顔がトレードマーク。

春一番さんの残した最後の言葉【タレント】1966年8月13日~2014年7月3日

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「ごめんね。ありがとう。」 (妻へ) (最後の言葉) 日本のお笑いタレント、俳優。本名・春花 直樹。アネット所属。 1988年、ドラマ『翼をください』で芸能界デビュー。当時の所属事務所は太田プロダクション。鶴太郎夫人の画数診断によると「本名では画数が悪い」とのことで芸名を付けようということになり、苗字が春花である事と、『芸人として一番を目指せ!』『春一番の風のように強い風を吹かせろ!』という思いを込めて、師匠の鶴太郎自身が『春一番』という芸名を命名した。同期のお笑い芸人には爆笑問題(太田光・田中裕二)、今田耕司、松村邦洋がいる。

ウガンダ・トラさんの残した言葉【タレント】1952年6月6日~2008年5月31日

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「カレーライスは飲み物である。」 日本のタレント、ドラマー。本名、佐藤 信一郎。『ビジーフォー』元メンバー。身長175cm、体重120kg。 東京都港区六本木出身。渡辺プロダクション→アミー・パーク所属。芸名は、容姿が似ていたウガンダのイディ・アミン元大統領に由来するが、それ以外にウガンダ共和国との接点はない。

丸山夏鈴さんの残した最後の言葉【タレント】1993年8月2日~2015年5月22日

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最後のブログ  日曜日に退院しましたが 2015-05-14 01:34:53  こんばんは なかなか更新できずすみません。  日曜日、10日に退院しました 1ヶ月半の入院生活で体力が衰えてしまって、家での生活がつらいです! 誰かがいないとたてません。  せっかくの栄養を捨ててしまうことになるけど苦しいからしょうがなくやっている肺の水抜きもしているので、さらに身体が…叫び (中略) 最近眠れなくて 睡眠不足です なんか、寝たらこのまま死んじゃうんじゃないのかって怖くなったり。 みんなの前ではアイドルでいたいけど、 ガチ病人からの復帰はまだまだ時間がかかりそうです。  時間なんて本当はないのに 日本の歌手、タレント。福島県郡山市出身。尚志高校卒。血液型はA型。愛称は「りんちゃん」。株式会社HappyStrike所属。悪性の脳腫瘍摘出手術を7回受けていた。ミスiD2016ファイナリスト・吉田豪賞の丸山ゆかは妹。

上原美優さんの残した最後の言葉【タレント】1987年5月2日~2011年5月12日

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「もう種子島に帰りたい、お母さんのところに行きたい。」 (最後の言葉) 「お母さんが死んで辛い。このままのスタイルで仕事して先行きどうなるか。」 (最後の言葉) 日本の元タレント・グラビアアイドル。本名、藤崎 睦美。 プラチナムプロダクションに所属していた。 鹿児島県種子島出身。

前田健さんの残した言葉【モノマネタレント】1971年6月14日~2016年4月26日

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「みんな自分のことで精一杯だけど、自分より大切な人がいたら、それは愛する人だと思います。」 「純粋で優しい人は大好き。尊敬する。だけど仲良くなる人って多少ワルの匂いがする人って言うか毒のある人なんだよなぁ。少し黒い部分持っててくれると安心する。」 「バカにした方が面白いものとバカにしたらいけないものを判別するセンスが無さ過ぎる。 さらに言えばバカに仕方にもセンスが必要。」 「いても意味のない場所なら、そこを去りなさい。忍耐の先に何もないなら、すぐに去りなさい。もっと有意義な場所があるはず。」 「ノーストレスが長寿の秘訣だなんてよく聞くけれど、気にしぃの性格がいきなり能天気になれるとは思えない。能天気って生まれ持った才能よ。」 「その人のライブや出版物などにお金を使って応援した経験がないと『ファン』って言っちゃいけないの?そんなことないよね。」 「スポーツ選手のインタビューって みんな『◯◯に向けて頑張りたいと思います。』って言うよね。 『頑張ります。』でいいのにね。 『頑張りたいと思う』のね。」 「よく『えー、そういうの興味ない。』とバッサリ遮断する人いるけど、じゃー何にだったら興味があって、それについてどれだけ語れるの?って思っちゃう。」 「俺たちが子供の頃だってテレビには『真似したら大人が眉をひそめるようなもの』はたくさんあったよ。だけど、放送するななんて文句言う人なんていなかった。 子供の俺たちはちゃんと判断できたから真似しなかった。ちゃんと躾られてたからね。」 「人はさ、近くの小さな夢と、遠くの大きな夢があったほうがいいね。」 日本のお笑い芸人、ものまねタレント、俳優、振付師。愛称「まえけん」。 東京都杉並区出身。ケイダッシュステージ所属。身長174cm。体重80kg、ABO式血液型はO型。東京都立農芸高等学校卒業。原田泰造は同校の先輩にあたる。

鈴木ヒロミツさんの残した最後の言葉【タレント】1946年6月21日~2007年3月14日

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「神様、生まれ変わることができるならば、(息子の)雄大の子供にしてください。」 (最後の言葉) 「ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。 愛しています。」 (妻へ) (最後の言葉) 歌手、俳優、タレント。所属事務所はホリプロであった。本名は鈴木弘満。GSムーブメントから登場したロックバンド、ザ・モップスのボーカリストも務めた。