新藤兼人さんの残した言葉【映画監督】1912年4月22日~2012年5月29日
「人は一生仕事をして生きる。何人もそうである。君は何のために生きているかと問われれば、躊躇なく、私は仕事のために生きていると答える。」 「人は老いれば、老いというものの中にいろんな問題を抱えます。金銭的に恵まれないとか、健康を害するといったことです。しかし、生き方の成り行きの中でそれらにまみれて自滅していくのはやはり悲しい。できれば、闘いながら終わっていきたい。そのためには何のために生きるかという自分の意志や個性、生き方をしっかり持っていなければならないと私は思います。」 「かつて人生50年と言いました。医学が進歩し、環境が整備されたいまは、人生80年です。それも枯れ木のように老いた期間が長引いたのではなく、才能や知識、見識、経験が頂点に達した期間が引き伸ばされました。いまの80歳といったら、昔の60歳くらいでしょう。まだまだ能力はあります。しかも、それは挫折と闘い、それを乗り越えてきた能力だから、覚悟とか勇気とか生き方とか若い人にはないものが含まれます。そういう年齢自体がひとつの才能です。」 「私自身を例に挙げれば、シナリオを書き、映画を撮っていますが、私に何ら能力がなかったら世間は受け入れてくれません。現実は厳しいから、お前は年を取ってしまってもう駄目だけれど、仕方がないから認めてあげようなどということは絶対にない。価値がなければ認めてもらえないんです。」 「企業の定年退職は、人間の能力について想像力を欠如させた悪しき制度ですね。社会制度、つまり人間の生き方に対する社会的な観念が、寿命の延びに追いついていないのがいまの大きな問題だと思いますが、定年制度はそのひとつです。60歳を超えたら引退して静かに暮らすべきだというのは、老人を理解していません。」 「私は仕事をして生きてきた。その仕事の中に私自身が含まれていると私は思います。仕事とは、私であり続けること、私とは何かを考え続けることなんです。」 「人は皆、仕事をして生きてきました。私みたいな映画監督であろうが、ビジネスマンや農民、医者であろうが、技術を磨き、仕事をすることで、結婚したり子供をつくったりしてきました。家族を養うために仕事をし、仕事をしてきたから過程を作ることができたという意味で、仕事とは生き方そのものです。」 「私は間もなく89歳になりますが、これからも映画を撮り続けようと思っています...