故人が残した名言集【5月29日】
原貢さんの残した言葉【アマチュア野球指導者】1935年3月30日~2014年5月29日
「おまえたちが逆立ちしても勝てる相手ではない、まあ、のんびりやろうや。」
「高校野球で勝ちたいか?勝ちたければ武道の本を読みなさい。日本の野球は武道の野球だよ!!」
アマチュア野球指導者。東海大学野球部名誉総監督。佐賀県神埼郡三田川町出身。 元プロ野球選手で前読売ジャイアンツ監督の原辰徳は息子。読売ジャイアンツ投手の菅野智之は孫。
新藤兼人さんの残した言葉【映画監督】1912年4月22日~2012年5月29日
「人は一生仕事をして生きる。何人もそうである。君は何のために生きているかと問われれば、躊躇なく、私は仕事のために生きていると答える。」
「人は老いれば、老いというものの中にいろんな問題を抱えます。金銭的に恵まれないとか、健康を害するといったことです。しかし、生き方の成り行きの中でそれらにまみれて自滅していくのはやはり悲しい。できれば、闘いながら終わっていきたい。そのためには何のために生きるかという自分の意志や個性、生き方をしっかり持っていなければならないと私は思います。」
「かつて人生50年と言いました。医学が進歩し、環境が整備されたいまは、人生80年です。それも枯れ木のように老いた期間が長引いたのではなく、才能や知識、見識、経験が頂点に達した期間が引き伸ばされました。いまの80歳といったら、昔の60歳くらいでしょう。まだまだ能力はあります。しかも、それは挫折と闘い、それを乗り越えてきた能力だから、覚悟とか勇気とか生き方とか若い人にはないものが含まれます。そういう年齢自体がひとつの才能です。」
「私自身を例に挙げれば、シナリオを書き、映画を撮っていますが、私に何ら能力がなかったら世間は受け入れてくれません。現実は厳しいから、お前は年を取ってしまってもう駄目だけれど、仕方がないから認めてあげようなどということは絶対にない。価値がなければ認めてもらえないんです。」
「企業の定年退職は、人間の能力について想像力を欠如させた悪しき制度ですね。社会制度、つまり人間の生き方に対する社会的な観念が、寿命の延びに追いついていないのがいまの大きな問題だと思いますが、定年制度はそのひとつです。60歳を超えたら引退して静かに暮らすべきだというのは、老人を理解していません。」
「私は仕事をして生きてきた。その仕事の中に私自身が含まれていると私は思います。仕事とは、私であり続けること、私とは何かを考え続けることなんです。」
「人は皆、仕事をして生きてきました。私みたいな映画監督であろうが、ビジネスマンや農民、医者であろうが、技術を磨き、仕事をすることで、結婚したり子供をつくったりしてきました。家族を養うために仕事をし、仕事をしてきたから過程を作ることができたという意味で、仕事とは生き方そのものです。」
「私は間もなく89歳になりますが、これからも映画を撮り続けようと思っています。年を取ったら取ったなりに、新たな素材との出会いがありますから、常に企画を何本か用意して、準備しています。準備をしているということが生きていることなんです。その途中で死んでも構いません。準備しながら生きること、それは自分の安定感になります。約束された安息ではなくて、どうなるかわからないという安定感です。」
日本の映画監督、脚本家。本名は新藤 兼登。日本のインディペンデント映画の先駆者であった。近代映画協会会長。従三位、広島県名誉県民、広島市名誉市民、広島県三原市名誉市民。
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