投稿

ラベル(岩谷時子)が付いた投稿を表示しています

岩谷時子さんの残した言葉【愛の讃歌】1916年3月28日~2013年10月25日

イメージ
「右手だけでは何も書けない。左手で紙をおさえて初めて字が書ける。左手あってこそ右手が自由に働ける。夫婦も友人も人間はみな互いに右手と左手のようなものなのかもしれない。」 日本の作詞家、詩人、翻訳家。本名:岩谷 トキ子。歌手・越路吹雪のマネージャーを務めたことでも知られる。 マネージャーとして活動する一方で、1952年に越路が出演していたシャンソンショー「巴里の唄」の劇中歌として『愛の讃歌』で時子にとって自身初めてとなる訳詞・作詞をした。以降、『愛の讃歌』をはじめとする越路が歌うシャンソンの訳詞を手がけたのをきっかけとして作詞家・訳詞家としても歩み始める。ザ・ピーナッツ『恋のバカンス』、岸洋子『夜明けのうた』、弘田三枝子『夢見るシャンソン人形』、沢たまき『ベッドで煙草を吸わないで』、園まり『逢いたくて逢いたくて』、加山雄三『君といつまでも』、佐良直美『いいじゃないの幸せならば』、ピンキーとキラーズ『恋の季節』など数多くのヒット曲を生み出してきた。