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斎藤道三さんの残した辞世の句【美濃の蝮】1494年~1556年5月28日

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「身を捨てて、この世の他に生きる世なし。いづくか終(つい)の住処(すみか)なりけぬ」 (辞世の句) 戦国時代の武将。美濃の戦国大名。 道三流斎藤氏初代当主。 名としては、長井規秀・長井秀龍・斎藤利政・道三などが伝わるが、書状などに現れているのは、藤原規秀・斎藤利政・道三などのみである。 父は松波庄五郎または松波基宗、子に義龍、孫四郎、喜平次、利堯、長龍、日饒、日覚。 戦国時代の美濃(今の岐阜県)の大名。 別名「美濃の蝮」と呼ばれ、僧侶から油商人、ついには、戦国大名にまで成り上がったと言われている。 息子義龍との戦いにて、戦死。

斎藤道三さんの残した言葉【美濃の蝮】1494年~1556年5月28日

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「油を注ぐときに漏斗を使わず、一文銭の穴に通してみせます。『油がこぼれたら』お代は頂きません」 「美濃国の大桑においては、終には織田上総助の存分にまかすべく、譲状、信長に対し遺はすその筈なり」 「虎を猫と見誤るとはワシの眼も老いたわ。しかし当面、斉藤家は安泰」 「山城が子供、たわけが門外に馬を繋ぐべき事、案の内にて候」 戦国時代の武将。美濃の戦国大名。 道三流斎藤氏初代当主。 名としては、長井規秀・長井秀龍・斎藤利政・道三などが伝わるが、書状などに現れているのは、藤原規秀・斎藤利政・道三などのみである。 父は松波庄五郎または松波基宗、子に義龍、孫四郎、喜平次、利堯、長龍、日饒、日覚。 戦国時代の美濃(今の岐阜県)の大名。 別名「美濃の蝮」と呼ばれ、僧侶から油商人、ついには、戦国大名にまで成り上がったと言われている。 息子義龍との戦いにて、戦死。