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庄野潤三さんの残した言葉【小説家】1921年2月9日~2009年9月21日

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「世の中がどんな風に変わっても、人間が人間らしく生きてゆける世の中である限りは、義理も人情も、やっぱり あった方がいい。」 「男には怠けたがる気持ちと同じくらいに働きたがる気持ちがある。」 「人はぜいたくということは、いけないことと頭から決めているけれど、ぜいたくが必要な時がある。」 「やったり、やらなかったりではまるきりやらない方がいい。」 日本の小説家。庄野英二の弟。 大阪府東成郡住吉村(現・大阪市)出身。帝塚山学院小学校・大阪府立住吉中学校を経て、1941年(昭和16年)12月に大阪外国語学校(現・大阪大学外国語学部)英語科を卒業。更に九州帝国大学法文学部で東洋史を専攻するが、戦時中の特例措置で繰り上げ卒業となる。 終戦後大阪府立今宮中学校(大阪府立今宮高等学校)の歴史教員となり、野球部長として同校野球部の第19回選抜中等学校野球大会(1947年)出場を率いた。その後朝日放送に入社し、1955年(昭和30年)に『プールサイド小景』で第32回芥川賞を受賞、「第三の新人」の一人として注目される。1965年(昭和40年)『夕べの雲』で読売文学賞、1969年(昭和44年)『紺野機業場』で芸術選奨文部大臣賞、1971年(昭和46年)『絵合せ』で野間文芸賞、1972年(昭和47年)『明夫と良二』で毎日出版文化賞、1973年(昭和48年)日本芸術院賞、1978年(昭和53年)日本芸術院会員。