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輪島大士さんの残した言葉【第54代横綱】1948年1月11日~2018年10月8日

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「俺はもう少し頑張る。よく頑張ったね、お疲れさまと言いたい」 (北の湖理事長へ弔いの言葉) 「黄金の左腕? 野球じゃあるめえし。」 石川県七尾市出身で花籠部屋所属の元大相撲力士、第54代横綱、全日本プロレス所属の元プロレスラー、元タレント。本名は輪島 博。血液型はA型。大相撲時代は身長185cm、体重132kg。ニックネームは蔵前の星・黄金の左、現役引退後はワジー。 大相撲の歴史上でも、輪島のみが幕下付出初土俵で横綱に昇進し、学生相撲出身唯一の横綱であり、横綱昇進後も本名を四股名にしていた横綱となっている。右手の引きが強いこともあって左の下手投げを得意とし、左前ミツを引き右からおっつけて寄る相撲も武器であった。トレードマークの金色の廻しとかけて「黄金の左」と言われ一世を風靡した。下手投げを得意とする力士は大成しないというジンクスを破っている数少ない例であった。当時の大相撲では「力士は走ると腰が軽くなる」と言われていたが、輪島は通常のスポーツ選手と同じように積極的にランニングを行い(元祖は玉の海らしい)、「稽古」を「練習」と呼ぶなど、あらゆる面で型破りだった。こういった点から「相撲を取るために生まれてきた男」「天才」という声もあった。 横綱土俵入りについては、脇が空いて前屈みの姿勢でせり上がるなどの批判もあったが、徐々に落ち着いた土俵入りとなり、テンポの早い北の湖とは好対照であった。後年になって輪島以降、下段の構えで掌が真下を向く傾向が顕著になったとやくみつるが考察している。 ユルフンの力士として知られており、上手投げを打たれても廻しが伸びて効かなかった。