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中原中也さんの残した言葉【汚れっちまった悲しみは】1907年4月29日~1937年10月22日

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「こんな思ひをするのなら 花や草に生まれたかつた」 「まことに人生、一瞬の夢、ゴム風船の美しさかな。」 「私の上に降る雪は いと貞潔でありました」 「昔私は思っていたものだった 恋愛詩なぞ愚劣なものだと けれどもいまでは恋愛を ゆめみるほかに能がない」 「月は聴き耳立てるでせう、すこしは降りても来るでせう、われら接唇する時に月は頭上にあるでせう。」 「汚れつちまつた悲しみは 倦怠のうちに死を夢む」 「幸福は、和める心には一挙にして分かる。頑(かたくな)な心は、不幸でいらいらして、せめてめまぐるしいものや数々のものに心を紛らす。そして益々不幸だ。」 「思えば遠くきたもんだ 此の先まだまだ何時までか 生きてゆくのであろうけど」 「幾時代かがありまして 茶色い戦争ありました」 「それに陽は、さらさらと さらさらと射しているのでありました。」 「土手づたい きえてゆくかな うつくしき さまざまの夢。」 「空は晴れてても、建物には蔭があるよ」 「月夜の晩に、ボタンが一つ 波打際に、落ちていた。」 「ポッカリ月が出ましたら、舟を浮べて出掛けましょう。」 「あれはとおいい処にあるのだけれど おれは此処で待っていなくてはならない」 「私はもう歌なぞ歌わない 誰が歌なぞ歌うものか」 「青い空は動かない、雲片一つあるでない。」 「ああ おまえはなにをして来たのだと…… 吹き来る風が私に云う」 「春が来たって何になろ あの子が返って来るじゃない」 日本の詩人、歌人、翻訳家。旧姓は柏村。 代々開業医である名家の長男として生まれ、跡取りとして医者になることを期待され、小学校時代は学業成績もよく神童とも呼ばれたが、8歳の時、弟がかぜにより病死したことで文学に目覚めた。中也は30歳の若さで死去したが、生涯で350篇以上の詩を残した。