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マリ・キュリーさんの残した言葉【キュリー夫人】1867年11月7日~1934年7月4日

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「それ(ラジウム)はあそこにあるのに。私には見えたのだから。」 「わたしは、化学の美しさを認める者の一人です。」 「私は科学には偉大な美が存在すると思っている人間の一人です。研究室にいる科学者というのは、ただの技術者ではありません。それはおとぎ話に感動する子供のように、自然現象を前にそこにたたずむ一人の子供でもあるのです。」 「私達一人一人が改善していかなければ、素晴らしい社会の建設など不可能なのです。おのおのが人生を切り開きながらも、同時に社会の役に立っていなければなりません。人々の力になること、これは人類の共通の義務なのです。」 「人事に携わる者の代わりは幾らもいますが、真理に携わる者の代わりは多くはいません。」 「(なぜ、特許を取らなかったのですか、の問いに対し)そんなこと出来ますか、科学の精神に反します。」 「この発明は、病気の治療に使えるものですよ。病人の足元に付け込むなんて、私には出来ません。」 「すべての人には幸せに生きる使命があります。だから、すべての人を幸せにする義務があります。」 「人々の力になること、これは人類の共通の義務なのです。」 「人生の中で恐れるものなど1つもありません。すべては理解されるものです。そして私達の恐れがより小さくなるように、今、さらに理解を深めるときなのです。」 「私を取り巻くものの中に活気あふれるものがあるとすれば、それは永遠に不滅な冒険精神です。」 「自分の仕事の結果を最大限に利用して、全体の人びとの幸福を忘れずに自分自身の利益をも保持すると言うような実際的な人間が、人類にとって必要なのはいうまでもない。しかし、また利害を超越して、ひとつの計画を展開することは、きわめて魅力的であるために、自分の物質的な利益に意をもちいてはいられないような夢想家も、人類にとっては必要である。」 「ただ一つの関心、ただ一つの夢の中に、私は生きました。」 「科学者の実験室の生活は、万物に対する闘争です。」 「偉大な発見は、いきなり完全な姿で科学者の頭脳から現れるわけではない。膨大な研究の積み重ねから生まれる果実なのだ。」 「願うように、進歩することなど、ありません。」 「個人の改善なくして、社会の改革はありません。」 「希望とは、我々...

マリ・キュリーさんの残した最後の言葉【キュリー夫人】1867年11月7日~1934年7月4日

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「これはラジウムで作ったのですか。」 (病床でのうわごと) 「いやです、構わないでください」 (注射にきた医師へ、最後の言葉) 現在のポーランド出身の物理学者・化学者である。フランス語名はマリ・キュリー。キュリー夫人 として有名である。 1867年11月7日、ワルシャワ生まれ。放射線の研究で、1903年のノーベル物理学賞、1911年のノーベル化学賞を受賞し、パリ大学初の女性教授職に就任した。

アルバート・アインシュタインさんの残した言葉【相対性理論】1879年3月14日~1955年4月18日

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「If you want to live a happy life, tie it to a goal, not to people or things.」 (幸せな人生をおくりたければ、人やものでなくそれ(人生)を自分のゴールに結びつけなさい。) 「The person who reads too much and uses his brain too little will fall into lazy habits of thinking.」 (本を読みすぎて考えを働かせない人は、思考能力低下に陥る。) 「Strive not to be a success, but rather to be of value.」 (成功者になるためではなく、価値のある者になるために努力せよ。) 「大切なのは、疑問を持ち続けることだ。神聖な好奇心を失ってはならない。」 「一見して人生には何の意味もない。しかし一つの意味もないということは、あり得ない。」 「自分自身の目で見、自分自身の心で感じる人は、とても少ない。」 「どうして自分を責めるんですか?他人がちゃんと必要な時に責めてくれるんだから、いいじゃないですか。」 「天才とは努力する凡才のことである。」 「私は、先のことなど考えたことがありません。すぐに来てしまうのですから。」 「神はいつでも公平に機会を与えてくださる。」 「過去から学び、今日のために生き、未来に対して希望をもつ。大切なことは、何も疑問を持たない状態に陥らないことである。」 「異性に心を奪われることは、大きな喜びであり、必要不可欠なことです。しかし、それが人生の中心事になってはいけません。もしそうなったら、人は道を見失ってしまうでしょう。」 「挫折を経験した事がない者は、何も新しい事に挑戦したことが無いということだ。」 「自分自身のことについて誠実でない人間は、他人から重んじられる資格はない。」 「私は、それほど賢くはありません。ただ、人より長く一つのことと付き合ってきただけなのです。」 「空想は知識より重要である。知識には限界がある。想像力は世界を包み込む。」 「私には特別な才能などありません。ただ、ものすごく好奇心が強いだけです。」 「成功という理想は、そろそろ奉仕という理想に取って替わられてしかるべき時だ。...

ジェームズ・ヴァン・アレンさんの残した言葉【バンアレン帯の発見者】1914年9月7日~2006年8月9日

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「心の強さは持続的な鍛錬によってのみ開発される。」 「心は、それ自身が密かに抱いているものを引き寄せる。」 「思いと目標が結びつかない限り、価値ある物事の達成は不可能です。」 アメリカ合衆国の物理学者である。地球高層の放射線帯であるヴァン・アレン帯の発見で知られる。 アイオワ州に生まれる。 1957年から1958年の国際地球観測年の観測のために他の科学者とともに観測衛星の打ち上げを提案し、1958年1月に打ち上げられたエクスプローラー1号に搭載されたガイガーカウンターによって地球を取り巻く放射線帯(バンアレン帯)を発見。同年6月、ソ連(当時)で開かれた学術会議にて発表した。その後も初期の衛星観測に貢献。

レオン・レーダーマンさんの残した言葉【神の粒子】1922年7月15日~2018年10月3日

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「The physicists defer only to mathematicians, and the mathematicians defer only to God.」 (物理学者は数学者だけに従い、数学者は神のみに従う。) アメリカ合衆国の実験物理学者。2代目の所長としてフェルミ研究所を1978年から1988年まで率いた。1988年ニュートリノビーム法、およびミューニュートリノの発見によるレプトンの二重構造の実証によりノーベル物理学賞を受賞した。 ニューヨーク州バッファローに生まれた。1943年ニューヨーク市立大学シティカレッジ卒業。1951年コロンビア大学で博士号を取得、1989年の定年退職までコロンビア大学で教鞭を執った。その間、Eugene Higgins Professorに就任し、フェルミ国立加速器研究所の所長も兼務した。1962年にブルックヘブンの陽子加速器を使って、ニュートリノの反応を調べ電子ニュートリノとμニュートリノが別のものであることを証明した。1977年ボトムクォークと反ボトムクォークの対である「ウプシロン中間子」を発見した。1978年から1988年までフェルミ国立加速器研究所の所長を務めた。コロンビア大学退職後も、シカゴ大学、イリノイ工科大学で教えた。

ペーター・グリューンベルクさんの残した言葉【物理学者・ノーベル賞】1939年5月18日~2018年4月9日

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「誰からも愛されないのは、大きな苦痛です。でも、誰も愛することができないのは、生きていても死んでいるようなものです。」 ドイツの物理学者で、巨大磁気抵抗を発見した人の一人である。独ユーリヒ固体物理研究所教授。彼の研究成果はギガバイトハードディスクの成功へつながった。2007年にアルベール・フェールとともにノーベル物理学賞を受賞した。