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葉室麟さんの残した言葉【小説家】1951年1月25日~2017年12月23日

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「ひとは心の目指すところに向かって生きているのだ、と思うようになった。心の向かうところが志であり、それが果たされるのであれば、命を絶たれることも恐ろしくはない。」 「おのれがおのれであることにためらうな。悪人と呼ばれたら、悪人であることを楽しめ。それが、お前の役目なのだ。」 日本の小説家。福岡県北九州市小倉生まれ。本名・本畑雄士。 福岡県立明善高等学校卒業。西南学院大学文学部外国語学科フランス語専攻卒業。地方紙記者、ラジオニュースデスク等を経て、2005年に江戸時代元禄期の絵師尾形光琳と陶工尾形乾山の兄弟を描いた『乾山晩愁』で第29回歴史文学賞を受賞。 50歳から創作活動に入り、4年後に文壇デビューを果たした。2007年、『銀漢の賦』で第14回松本清張賞を受賞する。2012年、『蜩ノ記』で第146回直木三十五賞を受賞する[。久留米市を拠点に、敗者や弱者の視点を大切にした歴史時代小説を生み出した。

大田堯さんの残した言葉【日本子どもを守る会名誉会長】1918年3月22日~2018年12月23日

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「希望がなけりゃ、生きてても楽しくない。」 「日本の近代は表面が立憲制で中身は絶対主義。国民には『お上』の意向に従順な価値観が染みついており、それが政権を勢いづかせる。」 「人づくりと言えば格好いいけれど、特定の理想を掲げ同調を求める教育は、国のために犠牲になる人間を生んだ戦時中の人民教化と変わらない。子供はみんな違っていて、伸びる力も持っている。教師は介添え役でいい。」 「上官に服従し、上意下達に終始する自分は何者なのか。何のために生きているのか。何もわからなくなった。」 日本の教育学者。東京大学名誉教授、都留文科大学名誉教授。日本子どもを守る会名誉会長。シューレ大学アドバイザー。専攻は教育学、教育史、教育哲学。 戦後の日本を代表する教育学者として著名である。2011年に大田を主人公としたドキュメンタリー映画「かすかな光へ」が公開され、再びその活動が注目されている。 最近は講演・執筆など多忙だが、その中で故郷の広島県本郷町の「ほんごう子ども図書館」の設立に尽力。長年の研究者としての実績とあわせて、同町から名誉町民の表彰を受けている。「九条の会」傘下の「九条の会・さいたま」呼びかけ人を務めている。2013年末から、自身の初の著作集となる、『大田堯自撰集成』が藤原書店から刊行されている。

故人が残した名言集【12月23日】

大田堯さんの残した言葉【日本子どもを守る会名誉会長】1918年3月22日~2018年12月23日 「希望がなけりゃ、生きてても楽しくない。」 「日本の近代は表面が立憲制で中身は絶対主義。国民には『お上』の意向に従順な価値観が染みついており、それが政権を勢いづかせる。」 「人づくりと言えば格好いいけれど、特定の理想を掲げ同調を求める教育は、国のために犠牲になる人間を生んだ戦時中の人民教化と変わらない。子供はみんな違っていて、伸びる力も持っている。教師は介添え役でいい。」 「上官に服従し、上意下達に終始する自分は何者なのか。何のために生きているのか。何もわからなくなった。」 日本の教育学者。東京大学名誉教授、都留文科大学名誉教授。日本子どもを守る会名誉会長。シューレ大学アドバイザー。専攻は教育学、教育史、教育哲学。 戦後の日本を代表する教育学者として著名である。 2011年に大田を主人公としたドキュメンタリー映画「かすかな光へ」が公開され、再びその活動が注目されている。 葉室麟さんの残した言葉【小説家】1951年1月25日~2017年12月23日 「ひとは心の目指すところに向かって生きているのだ、と思うようになった。心の向かうところが志であり、それが果たされるのであれば、命を絶たれることも恐ろしくはない。」  「おのれがおのれであることにためらうな。悪人と呼ばれたら、悪人であることを楽しめ。それが、お前の役目なのだ。」 日本の小説家。福岡県北九州市小倉生まれ。本名・本畑雄士。 福岡県立明善高等学校卒業。西南学院大学文学部外国語学科フランス語専攻卒業。 地方紙記者、ラジオニュースデスク等を経て、2005年に江戸時代元禄期の絵師尾形光琳と陶工尾形乾山の兄弟を描いた『乾山晩愁』で第29回歴史文学賞を受賞。 久留米市を拠点に、敗者や弱者の視点を大切にした歴史時代小説を生み出した。