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小松左京さんの残した言葉【SF作家】1931年1月28日~2011年7月26日

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「とにかく、男は一見強そうに見えているがポキッと折れやすい。男は生理的にたいへん無理して生まれてきているみたいなところがある。それに比べて女は生理的にはうんと安定しているんだ。そのうえ女はなかなか折れない柔軟性を持っている。」 「年代を超えた人のつながりをもっと強くして、知らないことやおもしろいこと、人間にとって大切なことに接するようにしないと、私たちの世代は子供たちの好奇心には追いつけません。」 「私自身、一人の人間のプライドなんてぜんぜん大したことはないと思ってきました。だから様々な人とつながりが生まれ、理論科学や最先端技術の動きに接することができたのです。プライドを上回る好奇心があったことが私の原点と言えます。」 日本の小説家。本名、小松 実。 星新一・筒井康隆と共に「御三家」と呼ばれる、日本SF界を代表するSF作家。1970年の日本万国博覧会でテーマ館サブ・プロデューサー、1990年の国際花と緑の博覧会の総合プロデューサーとしても知られる。 デビューの直後から、通常の作家の枠を超えた八面六臂の活動を初めている。ジャーナリストして国内各地を歩き、メディア出演を精力的にこなし、未来学研究会やメタボリストなど、多くの学者やクリエイターと交流をもった。1970年の大阪万博では若干40歳弱にして主要スタッフに名を連ね、関西財界や財界との密接な交流は晩年まで続いた。そのすがたは、いま「SF作家」という言葉で想像されるものをはるかに超えている。 未来を書くSF作家としてデビューし、しかも好奇心旺盛だった小松は、単なるエンタテインメント作家ではない、未来について語る新世代の知識人として、独特の期待を寄せられる運命にあったと言える。実際彼はその期待に応え、小説執筆の傍らさまざまな言論人・建築家と積極的に交流し、様々な研究会、学会の設立に参加して積極的にコミットし、新しい知識人の一角を急速に占めていった。学者や財界人を相手に文明論を語り、日本論を闘わせる精力的な人物だった。

リチャード・マシスンさんの残した言葉【SF作家】1926年2月20日~2013年6月23日

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「空は、どんな人の上でも青いわ。」 アメリカ合衆国の小説家、SF作家、ホラー小説作家、ファンタジー作家、ウエスタン作家、脚本家、映画プロデューサー、俳優。 優れたストーリーテリング能力を駆使し、ひとつのアイディアを丁寧かつ繊細な描写で語るというスタイルを持つ。映像媒体の脚本でもその才能を遺憾なく発揮し、スティーヴン・スピルバーグの『激突!』(原作と脚本)、『ヘルハウス』(原作と脚本)、エドガー・アラン・ポー原作の『恐怖の振子』、『黒猫の怨霊』、『忍者と悪女』、自作品『Bid Time Return 』の改作脚本版『ある日どこかで』などの映画作品の他 、『トワイライト・ゾーン』や『事件記者コルチャック』などのテレビドラマの脚本も多く手がけている。『ある日どこかで』『ゴッドファーザーPARTII』ではカメオ出演している。