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ノエル・カワードさんの残した言葉【劇作家】1899年12月16日~1973年3月26日

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「才能に恵まれた人など、いくらでもいる。才能があってよかったと言うのは、目があってよかったと言うのと、大した違いはない。それよりも大事なのは、忍耐力があるかどうかだね。」 「私は生涯を通じて一流か三流で通すよ。二流には決してならないね。」 「自分が誰であるかを決めるまで何を望むかを決めることはできません。」 「他人に何かを言われ自分の信仰を失わないでください。熱心に努力し、自分のベストを尽くせばいいのです。」 イギリスの俳優・作家・脚本家・演出家。作詞・作曲、映画監督もしている。 1920年代のファッションに大きな影響を与えた。首にスカーフをまくことや、タートルネックセーターは1924年の舞台『ヴォルテックス』で彼が初めて身につけた。ショーン・コネリーがジェームズ・ボンド役に決まった時、まずカワードのところにファッションの相談に行ったという。

ノエル・カワードさんの残した最後の言葉【劇作家】1899年12月16日~1973年3月26日

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「Goodnight,my darings,I'll see you tomorrow.」 (おやすみ、ダーリン。また明日。) (最後の言葉) イギリスの俳優・作家・脚本家・演出家。作詞・作曲、映画監督もしている。 1920年代のファッションに大きな影響を与えた。首にスカーフをまくことや、タートルネックセーターは1924年の舞台『ヴォルテックス』で彼が初めて身につけた。ショーン・コネリーがジェームズ・ボンド役に決まった時、まずカワードのところにファッションの相談に行ったという。

ウィリアム・シェイクスピアさんの残した言葉【ロミオとジュリエット】1564年4月26日(洗礼日)~1616年4月23日

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「To be, or not to be: that is the question.」 (生きるべきか、死ぬべきか。それが問題だ。) 「You gods, will give us. Some faults to make us men.」 (神は、我々を人間にするために、何らかの欠点を与える。) 「There is nothing either good or bad, but thinking makes it so.」 (物事によいも悪いもない。考え方によって良くも悪くもなる。) 「There is a tide in the affairs of men. Which, taken at the flood, leads on to fortune; Omitted, all the voyage of their life. Is bound in shallows and in miseries.」 (人の成すことには潮時というものがある。うまく満ち潮に乗れば成功するが、その期をのがすと、一生の航海が不幸災厄ばかりの浅瀬につかまってしまう。) 「Love like a shadow flies when substance love pursues; Pursuing that that flies, and flying what pursues.」 (恋はまことに影法師、いくら追っても逃げて行く、こちらが逃げれば追ってきて、こちらが追えば逃げて行く。) 「A fool thinks himself to be wise, but a wise man knows himself to be a fool.」 (愚者は己が賢いと考えるが、賢者は己が愚かなことを知っている。) 「Expectation is the root of all heartache.」 (期待はあらゆる苦悩のもと。) 「The worst is not, So long as we can say, ‘This is the worst.’」 (「これが最悪だ」などと言えるうちは、まだ最悪ではない。) 「Women are as roses, whose fairflower being ...

ヘンリック・イプセンさんの残した言葉【近代演劇の父】1828年3月20日~1906年5月23日

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「子供の時から堕落している人間は、ほとんどみんなと言っていいほど嘘つきの母親を持っているな。」 「この人のために生きていこうという、めあてになる人もいないんですもの。」 「あたしは自分というものと外の世間とを正しく知るために、自分一人になる必要があるのです。」 「この世の中で幸せを探すということ、これこそ本当の反逆の精神だ。」 「お金は喜びの日々は与えるが、平安や幸福は与えない。」 「お金は召使いは与えるが、忠誠は与えない。」 「お金は知人は与えるが、友人は与えない。」 「お金は薬は与えるが、健康は与えない。」 「金は君に食物を持ってきてくれるが、食欲はもたらさない。」 「借金と金貸しに依存する家庭生活には、自由もなければ、美しさもありません。」 「私はあなたの人形妻になりました。ちょうど父の家で人形子になっていたのと同じように。」 「お金で多くのものの皮を買うことはできるが、実(み)を買うことはできない。」 「友というのは、私たちに無理に何かをやらせるためではなく、むしろ私たちが何かをするのを妨げるが故に恐るべきものだ。」 「未亡人の愛は欠乏の苦痛であり、夫婦の愛はただの習慣である。」 「本当に必要なのは人間精神の革命です。そして君は、その先頭に立って進む者の一人でなければなりません。」 「我々はみな真理のために闘っている。だから孤独なのだ。寂しいのだ。しかし、だから強くなれるのだ。」 「男はだな、たとえ愛するもののためといえども、名誉を犠牲にすることはできんのだ!」 「あなたは女だ。だからこの世の中に愛ほど美しいものはないと思うに違いない。しかし、私は男だ。いくらでもかわりの女を見つける。」 「愛ですって?お人よしね、あなたは。この世にそんな奇蹟のようなものがあると思っていらっしゃるの?私はそんなものを信じやしない。誰かの発明よ。みんなはまわりでわいわい言ってるだけなのよ。」 「かつてひとりを愛したことのない者は、全人類を愛することは不可能だ。」 「結婚生活は要求の大海。愛の美しき狂気に関わることはもはやわずかしかない。ここでは偉大な才能も役立たぬ。ようは、ただ家庭、節度、忍耐、勤勉、義務感、そして従順。」 「『できない』というのは...

ヘンリック・イプセンさんの残した最後の言葉【近代演劇の父】1828年3月20日~1906年5月23日

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「とんでもない」 (看護師が家族へ『少し良くなられました。』と、話した際に) (最後の言葉) ノルウェーの劇作家、詩人、舞台監督。近代演劇の創始者であり、「近代演劇の父」と称される。シェイクスピア以後、世界でもっとも盛んに上演されている劇作家とも言われる。 代表作には、『ブラン』『ペール・ギュント』『人形の家』『野鴨』『ロスメルスホルム』『ヘッダ・ガーブレル』などがある。

ピエール・ド・マリヴォーさんの残した言葉【愛と偶然との戯れ】1688年2月4日~1763年2月12日

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「自分が愛らしいことを少しばかり忘れたら、ほんとに愛らしくなる女が世の中に多い。」 「人間という者は、少し優し過ぎるくらいでなくては、十分に優しくあり得ないのだ。」 「恋にとどめを刺すあらゆる手段の中で、最も確かなのはその恋を満足させることである。」 「女心はどんなに悲しみで一杯になっても、お世辞や恋を受け入れる片隅がどこかに残っているものだ。」 「結婚というものは、男子の魅力がどうのこうのといったことよりは、男子の思慮分別の有る無しのほうが、ずっと大事な問題なのよ。」 フランス王国パリ出身の劇作家、小説家。生涯に約40の戯曲を著した。 アカデミー・フランセーズの座席24番の会員で、これまで伝統的であった同国出身の劇作家モリエール流の喜劇を改革し、女性に於ける恋愛心理の分析を特色とする喜劇を創始した。

マルセル・アシャールさんの残した言葉【劇作家】1899年7月5日~1974年9月4日

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「女は、計算が大好きだ。自分の年齢を二で割り、自分のドレスの値段を倍にし、夫の給料を三倍に言い、一番の女友達の年齢にいつも五を足すのである。」 「愚かな女は、見かけほど愚かではない。愚かな男は、実際そのとおりであるが。」 「別れたあとの男と女は思い出を分かちあう。」 「男は自分が幸福にしてやれる女しか愛さない。」 フランス・サント=フォワ=レ=リヨン出身の劇作家・映画監督・脚本家。1959年カンヌ国際映画祭審査委員長。

ニール・サイモンさんの残した言葉【劇作家】1927年7月4日~2018年8月26日

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「『それは危険な賭けだ』と言われても気にするな。ミケランジェロがシスティナ礼拝堂の絵を天井ではなく床に描いていたら、今頃は擦れて消えているに違いない。」 「もし苦しみを経験しないで人生を生きていけるというなら、あなたはまだ生まれていないのだ。」 アメリカ合衆国の劇作家、脚本家である。 1961年の『カム・ブロー・ユア・ホーン』でのデビューを皮切りに、『おかしな二人』(1965年)、『サンシャイン・ボーイズ』(1972年)、『ビロキシー・ブルース』(1985年)などのヒット作を生み、ブロードウェイを代表する喜劇作家になる。映画やテレビの脚本も数多く手がけ、トニー賞、ゴールデングローブ賞、ピューリッツァー賞など多くの賞を受賞している。 1983年には、彼の名前を冠したニール・サイモン劇場がブロードウェイに開場している。 作品は人間の心の機微を描いた、暖かな余韻の残るものが多い。

つか こうへい さんの残した言葉【劇作家】1948年4月24日~2010年7月10日

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「先に逝くものは、後に残る人を煩(わずら)わせてはならない。」 「料理を味わうのではなく、相手の心を味わう。」 「二流の奴ほど、威張りたがる。」 「人間にとって大切なのは、何を恥と思うかです。」 「くだらないプライドやエゴは、全部捨てて心を裸にしてこそ、初めてお客さんに、笑ったり泣いたりして、もらえるんだ。 自分を取り繕っていたら、絶対に伝わらないよ。」 日本の劇作家、演出家、小説家。本名、金 峰雄。日本国内での通名、金原 峰雄。福岡県嘉穂郡嘉穂町牛隈生まれ。国籍は大韓民国。三男一女の二男。血液型A型。生前は東京都北区に在住し、同区のアンバサダーも務めた。

つか こうへい さんの残した遺書【劇作家】1948年4月24日~2010年7月10日

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遺書 友人、知人の皆様、つかこうへいでございます。 思えば恥の多い人生でございました。 先に逝くものは、後に残る人を煩わせてはならないと思っています。 私には信仰する宗教もありませんし、戒名も墓も作ろうとは思っておりません。 通夜、葬儀、お別れの会等も一切遠慮させて頂きます。 しばらくしたら、娘に日本と韓国の間、対馬海峡あたりで散骨してもらおうと思っています。 今までの過分なる御厚意、本当にありがとうございます。 2010年1月1日 つかこうへい 日本の劇作家、演出家、小説家。本名、金 峰雄。日本国内での通名、金原 峰雄。福岡県嘉穂郡嘉穂町牛隈生まれ。国籍は大韓民国。三男一女の二男。血液型A型。生前は東京都北区に在住し、同区のアンバサダーも務めた。

寺山修司さんの残した言葉【劇作家】1935年12月10日~1983年5月4日

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「さよならだけが人生。ならばまたくる春はなんだろう。」 「ぼくは政治主義がきらいで、革命が好きである。」 「偶然はつねに美しい。」 「世界は、これほど謎にみちあふれているのに、探偵小説家たちが、また新しい謎を作り出そうとするのはなぜだろうか?」 「人間の体ってのは『言葉の容れ物』にすぎないし、出し入れ自由である。」 「百年たったら帰っておいで百年たてばその意味わかる。」 「石を投げれば人間に当たる。」 「引き算がさみしいのは だんだん数が減ってゆくことだよ。」 「夢は現実の欠落を埋めあわせるためにではなく、現実の水先案内人としてあるべきだ。」 「わたしの存在そものが質問なのだ。その答えを知りたくて生きてるんだ。」 「僕の職業は、寺山修司です。」 「この世でいちばん遠い場所は、自分自身のこころである。」 「映画に主題歌があるように、人の一生にもそれぞれ主題歌があるのではないだろうか。そして、それを思い出して唄ってみるときに、人はいつでも原点に立ち戻り、人生のやり直しがきくようなカタルシスを味わうのではないだろうか。」 「競馬ファンは馬券を買わない。財布の底をはたいて自分を買っているのである。」 「人間は中途半端な死体として生まれてきて、一生かかって完全な死体になるのだ。」 「悪口の中においては、常に言われている方が主役であり、言っている方が脇役であるという宿命がある。」 「言葉の肩をたたくことはできないし、言葉と握手することもできない。だが、言葉にも言いようのない、旧友のなつかしさがあるものである。」 「言葉を友人に持ちたいと思うことがある。それは、旅路の途中でじぶんがたった一人だと言うことに気がついたときにである。」 「不幸な物語のあとには、かならず幸福な人生が出番をまっています。」 「言葉を友人に持ちたいと思うことがある。それは、旅路の途中でじぶんがたった一人だと言うことに気がついたときにである。」 「明日何が起こるかわかってしまったら、明日まで生きるたのしみがなくなってしまうことだろう。」 「愛されることには失敗したけど、愛することなら、うまくゆくかも知れない。そう、きっと素晴らしい泡になれるでしょう。」 「生が終わって死が始まるのではない。生が終われば死もまた終わってしまうのだ。」 「わたしの存在そのものが質問なの...

菊田一夫さんの残した言葉【劇作家】1908年3月1日~1973年4月4日

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「人間はどこまで行っても結局ひとり」 日本の劇作家・作詞家。本名は菊田 数男。娘の菊田伊寧子は作曲家。

デレック・ウォルコットさんの残した言葉【劇作家・ノーベル賞】1930年1月23日~2017年3月17日

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「The English language is nobody’s special property. It is the property of the imagination: it is the property of the language itself.」 (英語は誰の所有物でもない。英語は想像の所有物であり、英語そのものの所有物だ) セントルシア出身の詩人、劇作家。1992年、カリブ海諸国出身者として初めてノーベル文学賞を受賞。