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桂米朝(3代目)さんの残した言葉【落語家】1925年11月6日~2015年3月19日

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「芸能人という言葉が私はどうもいやで、あえて芸人と言い続けて来ています。職業に貴賎はないと言いますが、私は、もし貴賎をつけるとすれば、芸人は絶対に威張れない職業であると思っています。それは物を生産する職業ではないからです」 「芸は人なり。やっぱり大事なんは人間性や」 「その人と同じ位と思えば自分より上、自分より下と思えば自分と同じ位、 自分より上と思えば自分より遥かに上」 「ええか、やっぱり最後は人間やで、人柄や。どんなに上手くなっても、どれだけ売れても、人間性やで。そやさかい、人間を磨いていかなあかんのや」 「芸人はどんなに偉くなっても、つまりは遊民なのです。世の中の余裕、お余りにで生きているのです。」 「大きなことは望まない。泣いたり笑ったりしながら、1日1日が無事に過ぎて、何とか子や孫が無事に育って、自分は年寄りになって、やがて死んでいく。それでいいというような、芸です。」 「この世界、20年演っても受けるとは限らない。もしかしたら、21年目に売れるかもしれないし、一生、売れないかも知れない。ただ、嫌な人間にだけはなるな。」 旧関東州大連市生まれ、兵庫県姫路市出身の落語家。本名、中川 清。出囃子は『三下り鞨鼓』、『都囃子』。俳号は「八十八」。 現代の落語界を代表する落語家の一人で、第二次世界大戦後滅びかけていた上方落語の継承、復興への功績から「上方落語中興の祖」と言われた。