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スティーヴ・ビコさんの残した言葉【黒人意識運動】1946年12月18日~1977年9月12日

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「A people without a positive history is like a vehicle without an engine.」 (ポジティブな過去の無い人々はエンジンの無い乗り物みたいなものだ。) 「Whites must bemade to realize that they are only human, not superior. Same with blacks. They must be made to realize that they are also human, not inferior.」 (白人には、彼らは単なる人間であって優れているわけではないことを認識させる必要がある。黒人も同じだ。黒人には、彼らもまた人間であって劣っているわけではないことを認識させる必要がある。) 南アフリカのアパルトヘイト抵抗運動活動家。思想的にはアフリカ・ナショナリストかつ、アフリカ社会主義者であり、黒人意識運動として知られる1960年代後半と1970年代の草の根的な反アパルトヘイト・キャンペーンの最前線にいた。 フランツ・ファノンと、アフリカ系アメリカ人のブラック・パワー運動の影響を受け、ビコと仲間たちは黒人意識という思想を発達させた。これはSASOの公式イデオロギーとなった。SASOはアパルトヘイトの終結と、南アフリカの全人種による普通選挙、そして社会主義経済への移行を目指して運動した。そして黒人共同体プログラム(BCPs)を組織するとともに、黒人の心理的活力の向上に焦点を当てた。ビコは、黒人自身が持つ人種的劣等感を払拭する必要があると考え、このアイデアを「ブラック・イズ・ビューティフル」と言う一般化したスローガンで表現した。1972年、彼は黒人意識という思想を多くの人々の中に広めるため、黒人人民会議(BPC)に関与した。政府はビコを危険分子と見做すようになり、1973年に彼を活動禁止命令下に置き、その活動を厳しく制限した。ビコは政治的に活発であり続け、ギンズバーグ地区の診療所や託児所のようなBCPsを組織するのを支援していた。活動禁止中にビコは匿名の脅迫を繰り返し受け、またいくつかの機会を掴んで警察に拘束された。ビコは1977年8月に逮捕された後、警官から激しい殴打を受け、その結果死亡した。葬儀は20,000人以上が参列した。