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竹村健一さんの残した言葉【ジャーナリスト】1930年4月7日~2019年7月8日

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「私は劣等感を肯定し、駄目な俺が失敗してもともとやという居直り精神から再出発した。小さなプライドを捨てた。見栄や気負いもなく、無欲恬淡に手当たり次第のことをやってきた。他人に笑われることを恐れなくなったおかげで、本当にいろいろなことができた。」 「失敗したら大変だという意識ばかりが先に立って、目の前にやりたいことがあっても、なかなか手を出せないということになる。見栄や外聞を気にしていても、それが通用しているうちはまだいい。しかし、かならず壁にぶつかるものだ。壁にぶつからないようにするためには、じっと動かずにいるか、山奥に逃げ込んで世捨て人になるしかない。」 「人間は誰だって劣等感を持っている。他人に引け目を感じる部分を必ず持っている。他人に引け目を感じる部分を必ず持っている。事実は事実として、はっきりそう認めてしまえばいい。居直るのだ。ところがたいていの人は、事実を事実と認めたがらない。あるいは事実を隠し通そうと努力する。」 「あたり前のことをやっていては駄目な時代になった。お客さんもよく見ていますからね。」 「あり余る時間の中で何かをやったところで、それは暇潰しにしかならないだろう。忙しい時間をやりくりして、本当にしたいことをやるからこそ、そのひとときを心から楽しむことができる。それが、本当の『ゆとりある人生』ではないだろうか。」 「人間の大きさは、プライドに比例すると思う。小さなことを気にしたり、小さなことで傷ついたりするのは、プライドが低い証拠だ。プライドが低ければ低いほど、世にプライドを傷つける種も多いことになる。たとえば『自分はいかなる場合でも、決して人にバカにされたくない』と考えていたとしても、世にあるかぎり、それは不可能に近い。道を歩いていて、つまづいて転んでも、笑う人は笑うのだ。『そんな連中に笑われたっていい。たかがつまずいただけではないか。』そう思ったとき、プライドはぐんと高くなったことになる。今度他人がつまずくのを見たら、『大丈夫ですか?』と声をかけたい心境にもなろう。」 「棚からボタモチが落ちてくるのを待っているのは、まだるっこしい。第一、いつまでたっても落ちてこないかもしれない。ちょっと背伸びをして、棚の上を眺めてみよう。そこにボタモチがあるなら、踏み台か何か持ってきて、ひと足早くいただこうではないか。」 「『棚の上のボタモチ』