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渡哲也さんの残した言葉【西部警察】1941年12月28日~2020年8月10日

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「耐えることが人生。」 「お前怒るなよな。見舞いには花が相場なんだがあいにくないんでな。少ないけどこれ取っとけ。」 (共演していた苅谷氏の夫人が入院し、お金に困っているという話を聞き、撮影終了後に苅谷氏を呼び止めて、お金の入った封筒をさしだした時の言葉) 「お前、松竹梅はシャレできくけどな、お前になんでテツって呼ばれなくちゃいけねんだ。」 (番組で事前に「テツ」と言われたら本気で怒ってみせてほしいと頼まれた際に拒んでいたが、激怒した際の言葉) 「よくいえば人がいいといえるんでしょうけど、優柔不断、非常にダメ男ですよ。」 「いつも自分らしく生きたいと思っている。飾るのはいやだ。それで人との和が保てたら、最高だと思う。俺が最も大切にしているのは、人と人との関係だ。」 「ばあさんが過保護にしてるから、僕は厳しく育てようと思っています。しかし、男もガキができるとおしまいですよ。冒険できなくなるしね。」 (子育てについて) 「何を考えていたかって、みんなに聞かれますけど、僕はのん気ですからねぇ。人に迷惑をかけたことは辛かったですけど、僕自身はのんびりしてましたよ。」 (闘病生活について) 「今の日本映画のプロデューサーは、どんな映画を作って公開するかは二の次三の次。向こう1年間、映画館の空いたスケジュールを埋める事しか考えていない。明らかに、完成度の低いシナリオのままクランクインしている。」 「アクションと怪我は紙一重、やるっきゃありません。」 「アクション映画をやりたい、自分のキャラクターを活かしてくれるのは東映を置いて他にない。」 「当時だから実現できた。静岡駅前に、石原さん(石原裕次郎)がヘリコプターで降り立ってきた...本当なんですよ。(緊急時以外、市街地へ着陸)もう、許可が下りることは無いでしょう。」 (テレビシリーズ「西部警察」「大都会」の演出について) 「若い方々と一緒にお芝居をして、感じ合い、吸収し合えるものがあるといいなと思っています。」 「石原さん(石原裕次郎)が泣きながら語りかけてくるんですね。『弟のように思っていた。』というようなことを。当時を思うと、わたしも年齢的にちょうどいい頃で、各映画会社からいろいろな映画の誘いがあったんですね。ただこの西部警察があったこ...

阿部進さんの残した言葉【カバゴン】1930年6月11日~2017年8月10日

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「子供と話すと、言葉遣いや流行など今の環境がリアルに分かり、それをヒントに次の授業に生かしていく。教育は生ものだから、立ち止まってちゃいけないんですよ。」 「僕の授業は、学校の先を行くんじゃなく、苦手な部分を補ってる。例えば国語は漢字の読みがメーン。小学校で習う約1000字を、自然、植物、道具というふうに分類し、右に音読み、左は訓読みを記したオリジナルドリルを作り、スラスラ読めるようにする。読解力が増すと、新聞や書籍も読むようになり自然と国語力がアップするんです。」 教育評論家。「カバゴン」の愛称で広く親しまれ、「現代っ子」の造語でも知られる。 「カバゴン」を自称し、高度経済成長期から亡くなるまで精力的に教育活動を行っていた。現在でも使われる「現代っ子」は、1962年の阿部の造語。 「カバゴン」は、『日清ちびっこのどじまん』に出演した際に、番組での視聴者からの公募の結果選ばれたものである。投票結果の1位は「ブタゴン」だったが、ブタはエースコックを連想させるため、同番組のスポンサーである日清食品に配慮し、2位だった「カバゴン」に決定した。 また番組内では、「怪獣カバゴン」という持ち歌があった。

フェルナンド・ジョルトさんの残した言葉【画家】1949年4月7日~2018年8月10日

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「I LOVE AND FEEL THE COLOURS, BECAUSE THEY SHOW ME THE LIFE WITHIN THE LIGHT」 (私は色を愛し、感じる、彼らは私に光の中で人生を見せてくれる) エルサルバドルの画家。原色を用いた抽象画を手掛け、神・自然・人の調和をモチーフとした作品を多く発表した。ラ・パルマに「セミジャ・デ・ディオス」を設立した。小物や生活用品に絵を施した民芸品を作るコミュニティを築き、その作成手法を一般庶民へ広めるなどの文化活動を行っている。

菅井きん さんの残した言葉【女優】1926年2月28日~2018年8月10日

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「父には『女優は美人がなるものだ』なんて叱られました。でも、反対されればされるほど燃えちゃう性格なので、もう何が何でも絶対女優になってやるんだと思いましたね。」 日本の女優である。血液型はB型。身長155cm、体重45kg。特技は三味線。生前は仕事所属。 1954年、東宝特撮映画『ゴジラ』に代議士の役で出演しているが、翌1955年の川島雄三監督作品『愛のお荷物』にもほとんど同じ格好をした野党の議員役で登場した。 1973年、『必殺仕置人』の主要人物・中村主水を「ムコ殿!」といびる姑・中村せん役で出演。その後も必殺シリーズには必ず登場、シリーズを語る上で欠かせない存在となり、この役で現在の地位を築く。が、この役があまりに有名になり、「せん役のイメージのせいで、娘の縁談に支障が出る」と降板を願い出たことがある(無事に娘は結婚したため、降板願いは撤回された。)。

瀧本哲史さんの残した言葉【エンジェル投資家】~2019年8月10日

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「書店には、成功した人物が書いた自慢話風の『天国のような話』が並んでいます。しかし、本当に天国に行く方法を知りたいのであれば、地獄を見た人の『血と汗』で書かれた本を読むべきです。」 「読書とは、著者の考え方を無批判に受け取るものではありません。著者の語っていることを『本当にそうなのか』と疑い、自分の考えをつくる知的プロセスです。」 「古典として残っている本の多くは、格闘する価値のある『良書』です。ただ、読みこなすためには歴史を知る必要があります。『君主論』を読むにはローマ史の知識が不可欠ですが、ほとんどの読者にその時間はないでしょう。その場合、上質な解説書に目を通しておくと、古典を読むうえで大きな助けになります。」 「若いうちは自分をどう使うかが最も重要。資産としての自分って何かというと『時間』です。そして時間は有限です。このことを常に意識して、『自分の運用』をしっかり考えなければいけない。」 「限られた時間を投資するという前提で人生を計画した場合、投資のパフォーマンスは何で決まるかというと、1個1個の案件の成果ではなく、タイミングの良し悪しでもなく、実は長い目で見たらポートフォリオで決まります。配分の割合で勝負がほとんどついている。個別の案件がうまくいったりいかなかったりしても、長期で見れば平均的にならされてしまうので、全体としてどこにどういう割合で投資したのかが大きく効いてきます。」 「投資の世界でも、ファンドマネジャーと株の銘柄を探してくる人は別なんですよ。ファンドマネジャーはいろいろな人が持ってきた『いい会社の株』の中からどれを採用するかを決めて、全体としてバランスが取れているかをチェックします。そうでないと、『この会社、いいね』とどんどん買っていって、気づいたら電機メーカーばっかりだったということになりかねない。個人の仕事の場合も、たまにはファンドマネジャーモードになって全体を見ないと必ずバランスが悪くなってきます。」 「私は仕事の計画を3年周期で考えています。これは投資家の周期と同じ。1年目は、とりあえずたくさんのものに時間を投資していろいろなことを試してみます。2年目は、その中でうまくいったものにドーンと大きく集中投資する。3年目は投資を回収します。」 「人間はなぜかうまくいかないものを一生懸命やろうとするんです。簡単にうまくいくものはす...

故人が残した名言集【8月10日】

渡哲也さんの残した言葉【西部警察】1941年12月28日~2020年8月10日 「耐えることが人生。」 「お前怒るなよな。見舞いには花が相場なんだがあいにくないんでな。少ないけどこれ取っとけ。」 (共演していた苅谷氏の夫人が入院し、お金に困っているという話を聞き、撮影終了後に苅谷氏を呼び止めて、お金の入った封筒をさしだした時の言葉) 「お前、松竹梅はシャレできくけどな、お前になんでテツって呼ばれなくちゃいけねんだ。」 (番組で事前に「テツ」と言われたら本気で怒ってみせてほしいと頼まれた際に拒んでいたが、激怒した際の言葉) 「よくいえば人がいいといえるんでしょうけど、優柔不断、非常にダメ男ですよ。」 「いつも自分らしく生きたいと思っている。飾るのはいやだ。それで人との和が保てたら、最高だと思う。俺が最も大切にしているのは、人と人との関係だ。」 「ばあさんが過保護にしてるから、僕は厳しく育てようと思っています。しかし、男もガキができるとおしまいですよ。冒険できなくなるしね。」 (子育てについて) 「何を考えていたかって、みんなに聞かれますけど、僕はのん気ですからねぇ。人に迷惑をかけたことは辛かったですけど、僕自身はのんびりしてましたよ。」 (闘病生活について) 「今の日本映画のプロデューサーは、どんな映画を作って公開するかは二の次三の次。向こう1年間、映画館の空いたスケジュールを埋める事しか考えていない。明らかに、完成度の低いシナリオのままクランクインしている。」 「アクションと怪我は紙一重、やるっきゃありません。」 「アクション映画をやりたい、自分のキャラクターを活かしてくれるのは東映を置いて他にない。」 「当時だから実現できた。静岡駅前に、石原さん(石原裕次郎)がヘリコプターで降り立ってきた...本当なんですよ。(緊急時以外、市街地へ着陸)もう、許可が下りることは無いでしょう。」 (テレビシリーズ「西部警察」「大都会」の演出について) 「若い方々と一緒にお芝居をして、感じ合い、吸収し合えるものがあるといいなと思っています。」 「石原さん(石原裕次郎)が泣きながら語りかけてくるんですね。『弟のように思っていた。』というようなことを。当時を思うと、わたしも年齢的にちょうどいい頃で、各映画会社からいろい...