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ビル・キーンさんの残した言葉【ザ・ファミリー・サーカス】1922年10月5日~2011年11月8日

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「Yesterday is history, tommorow is a mystery, today is a gift of God, which is why we call it the "present.」 (昨日は歴史、明日は不思議、今日は神からのプレゼント。だから現在はプレゼントと言うんだよ。) 「Yesterday's the past and tomorrow's the future.Today is a gift.」 (昨日は過去、明日は未来。今日はギフト。) 「Goal begins with 'GO.'」 (ゴールは「ゴー」で始まっている。) 「一生の仕事を選ぶときは、自分の一番好きなものを選ぶこと。」 「ありのままの自分を大切に、あせらず行こう。最終目的地が成功だとしても、その道のりも一歩一歩楽しもうじゃないか。」 「毎日笑い転げる必要なんてないよ。暖かい愛情があるだけで十分だ。」 「ハグは、ブーメランのようなもの。あなたも同じものを手に入れられる。」 ビル・キーンとしてよく知られているウィリアム・アロイシウス・キーンは、アメリカの漫画家で、新聞コミック 『ザ・ファミリー・サーカス』での彼の作品で最も著名でした。それは1960年に始まり、彼の息子ジェフ・キーンによって描かれたシンジケーションで続けています。

やなせたかし さんの残した最後の言葉【アンパンマンの産みの親】1919年2月6日~2013年10月13日

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「ゼロの世界へ 消えていくでござる。」 (最後の言葉) 日本の漫画家、絵本作家、詩人。 有限会社やなせスタジオ社長。 『アンパンマン』の生みの親として知られる。 社団法人日本漫画家協会代表理事理事長、社団法人日本漫画家協会代表理事会長を歴任。

チャールズ・M・シュルツさんの残した言葉【スヌーピー】1922年11月26日~2000年2月12日

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「I need plenty of rest in case tomorrow is a great day..」 (あすがすばらしい日だといけないから、うんと休息するのさ…) スヌーピー 「気が滅入るだって?きみの生活にはユーモアがたりないのかも…」 スヌーピー 「Keep looking up.. That’s the secret of life..」 (上を見続ける… それが生きるコツさ…) スヌーピー 「You play with the cards you’re dealt.. Whatever that means」 (配られたカードで勝負するっきゃないのさ… それがどういう意味であれ) スヌーピー 「Dogs could fly if we wanted to..」 (もし望めば犬だって飛べるんだ…) スヌーピー 「If you want something done right, you should do it yourself!」 (もし何かをちゃんとやりたいんなら、自分でやるべきだよ!) スヌーピー 「人間て恋に落ちるものなんだ、わかる?で、恋に落ちると、世界が全く違って見える!空はより青く、草はより緑に そして鳥たちの歌はより甘くなる」 スヌーピー 「インフルエンザでなきゃ恋さ… 症状は同じだ…」 スヌーピー 「水皿にぼくがうつってる… もし全部のんじゃったらぼくはみえなくなる… ぼくはすごくのどがかわいてもいる… でもぼくを見てる方がいいや!」 スヌーピー 「安心って言うのは車の後部座席で何の心配もなく眠れることなんだ」 スヌーピー 「We all have our hang-ups!」 (誰にでも未解決の問題はあるもんだよ!) スヌーピー 「自分が小さいからってこわがることないよ やり返すことをおぼえるんだ!誰にもこづきまわされないようにするんだ!」 スヌーピー 「恋ってのはただ考えるだけでもわざわいのもとになりかねないね!」 スヌーピー 「口先ばかりの優しい言葉は何の役にも立たない」 スヌーピー 「もっと野心を抱かなきゃいけないのかもしれないな… もっといろんな所へゆき、いろんなこともできたはずだ。その代わりにボクはうちにいて、ボクであることを選んだ…」 スヌーピー 「何も期待しなければ、何も得

中沢啓治さんの残した最後の言葉【はだしのゲン】1939年3月14日~2012年12月19日

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「好きなマンガを描いて、食べていけたんだから、こんな幸せなことはない。『ゲン』は俺が死んでも残る。『ゲン』が世代を超えて歩んでいってくれれば、それだけでいい」 (最後の言葉) 日本の漫画家。 代表作に『はだしのゲン』など、広島市への原子爆弾投下による自身の被爆体験を元に、戦争・平和を題材とした作品を数多く発表している。 熱狂的な広島東洋カープファンであり、代表作である『はだしのゲン』にもカープが登場するほか、カープをテーマにした『広島カープ誕生物語』などの作品がある。『はだしのゲン』や『広島カープ誕生物語』には球団草創期における熱狂的なカープファンの常軌を逸した様子も描かれている。中沢は球場観戦も好きで、よく妻をカープ観戦に連れて行っており、カープ見たさに甲子園球場に出向くほどだった。そんな中沢の影響で結婚するまでカープに興味がなかった妻・ミサヨも、一緒にラジオを聴いたり観戦するうちにファンになっていった。 2011年8月にマツダスタジアムで「ピースナイター」として開催されたカープ対巨人戦では始球式を務めている。中沢は「カープのグラウンドで始球式できるとは夢にも思わなかった。こういうときに野球をやると不謹慎と言われるけど、平和だからできることを喜ばないと」と語っている。 被爆者でありながら悲惨な被爆体験のため2010年まで広島市主催の平和記念式典に出たことはなかった。「原爆に触れるのが嫌だった。(慰霊の日)8時15分が迫ると気分が重い。逃げ回った姿が蘇る」と述べている。 広島平和記念式典については、やらないよりはやった方がいいとは思ったが、被爆体験への忌まわしさと戦争責任を追及しない内容に「あんな白々しい式典で、あの原爆地獄の苦しみと怒りと、悲しみが、鎮められるかっ」と中沢自身は参加したことはなかった。しかし広島市から招待され、2011年に「今生の別れのつもりで」と初めて出席した。中沢は戦争を引き起こした戦犯の人形を並べて市民が石をぶつける式典なら喜んで参加したいと述べている。

中沢啓治さんの残した言葉【はだしのゲン】1939年3月14日~2012年12月19日

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「伝えるということは本当に難しい。日本は唯一の被爆国だと毎年騒いでいたって、実際には伝わっていないのです。僕に送られてくる読者からの手紙は、『漫画に描かれている原爆の状態は本当だったのですか』『まったく知りませんでした』『戦争と原爆の本当の姿をもっと教えてください』というものが多い。これは40年前の読者も、いまの読者も同じです。」 「難しい言葉や文章でいわれたら、読む気がしなくなります。子供たちは漫画だからと夢中になる。夢中で読みだしたら、どんどん本質に迫っていくのです。」 日本の漫画家。 代表作に『はだしのゲン』など、広島市への原子爆弾投下による自身の被爆体験を元に、戦争・平和を題材とした作品を数多く発表している。 熱狂的な広島東洋カープファンであり、代表作である『はだしのゲン』にもカープが登場するほか、カープをテーマにした『広島カープ誕生物語』などの作品がある。『はだしのゲン』や『広島カープ誕生物語』には球団草創期における熱狂的なカープファンの常軌を逸した様子も描かれている。中沢は球場観戦も好きで、よく妻をカープ観戦に連れて行っており、カープ見たさに甲子園球場に出向くほどだった。そんな中沢の影響で結婚するまでカープに興味がなかった妻・ミサヨも、一緒にラジオを聴いたり観戦するうちにファンになっていった。 2011年8月にマツダスタジアムで「ピースナイター」として開催されたカープ対巨人戦では始球式を務めている。中沢は「カープのグラウンドで始球式できるとは夢にも思わなかった。こういうときに野球をやると不謹慎と言われるけど、平和だからできることを喜ばないと」と語っている。 被爆者でありながら悲惨な被爆体験のため2010年まで広島市主催の平和記念式典に出たことはなかった。「原爆に触れるのが嫌だった。(慰霊の日)8時15分が迫ると気分が重い。逃げ回った姿が蘇る」と述べている。 広島平和記念式典については、やらないよりはやった方がいいとは思ったが、被爆体験への忌まわしさと戦争責任を追及しない内容に「あんな白々しい式典で、あの原爆地獄の苦しみと怒りと、悲しみが、鎮められるかっ」と中沢自身は参加したことはなかった。しかし広島市から招待され、2011年に「今生の別れのつもりで」と初めて出席した。中沢は戦争を引き起こした戦犯の人形を並べて市民が石をぶつける式典なら

水木しげる さんの残した言葉【ゲゲゲの鬼太郎】1922年3月8日~2015年11月30日

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「寝る時間を 犠牲にしていた連中は、 早々とあの世に行ってしまった。」 「成功や栄誉や 勝ち負けを目的に、ことを行ってはいけない。」 「戦争で片腕を失っても 絶望なんてしなかった。 だって生きてるんだから。」 「苦しいことから 逃げてはいけない。 ラクはいつだって出来る。」 「好きなことをやるのは 当たり前。 だって、その方が 頑張れるもの。 でも、それだけじゃダメ。 頭を使って、 知恵を振り絞らないと。 成功するんだという 強い意志を持って努力しないと。」 「適当にやらないとね、 漫画家は死ぬよ。 寝なきゃ駄目。 食べたいものは 食べないと駄目。 疲れたら 休まないと駄目。」 「他人との比較ではない、 あくまで 自分の楽しさを追及すべし。」 「しないではいられないことを、 し続けなさい。」 「目先のことにうろたえたり ヤケになったりしちょっては どうにもならんぞ。」 「苦しむことから 逃げちゃイカン。 人生はずっと 苦しいんです。 苦しさを知っておくと、 苦しみ慣れする。 これは強いですよ。」 「金なんか 飢え死にしない程度に あったらええ。」 「多忙だと、心が鈍くなります。」 「好きなことだけを やりなさい。 好きなことは 一生懸命やりなさい。」 「ラクは いつでもできます。 でも、ラクばかりしてると、 もっと苦しいことが 待っていたりする。」 「やりがいや充実感は、 結局は自分が好きなことの中にしか 見つからない。」 「済んだことを 言うもんじゃねぇ。」 「人生をいじくり回しては いけない。 あわてずに ゆっくりやれ。」 「本気で人を 幸せにしようと思ったら、 自分が傷つくことくらい 覚悟しなくちゃいかんのだ。」 「人生で大事ことは熱中する能力、いわば『好き』の力ほど、人生を生きていくうえで大事なものはないような気がする。」 日本の漫画家。本名は武良 茂。 大阪府大阪市住吉区出生、鳥取県境港市入船町育ち。ペンネームは、紙芝居作家時代に兵庫県神戸市の水木通り沿いで経営していたアパート「水木荘」から名付けた。1958年に漫画家としてデビュー。

横山隆一さんの残した言葉【フクちゃん】1909年5月17日~2001年11月8日

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「忙しい時ほど遊ぶ。それが一番面白い」 高知県高知市出身の漫画家、アニメーション作家。 政治風刺漫画が主流だった1930年代日本の漫画界において、簡略な絵柄と明快なギャグによる欧米流の「ナンセンス漫画」を志向した若手グループ「新漫画派集団」を結成し、やがて戦中・戦後初期の漫画界をリードした。戦後にはアニメーション制作会社「おとぎプロダクション」を設立したほか、広告や絵本のイラストレーションや、油彩画を描いた。 太平洋戦争中は、自身の作品『フクちゃん』が日本海軍のプロパガンダとしてアニメーション映画化された。横山の陸軍報道班員としてジャワへ派遣された体験からか、兵器の描写が従来の漫画映画と比べてリアルなものとなっている。その一方、『フクちゃん』は、敵国である米軍の宣伝ビラ『落下傘ニュース』にも(当然)無断で使用された。

あさぎり夕さんの残した言葉【漫画家】1956年7月21日~2018年10月27日

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「描き続けていればデビューはできる。でも、問題は二作目よ。」 (後輩漫画家の篠原千絵さんに) 日本の女性漫画家、小説家。東京都出身。本名は高野 夕里子。 中学時代から漫画雑誌に投稿を始め、プロの漫画家を目指すサークル「三日月会」の会員となった。その一方で編集部に作品を持ち込むなどの活動を続け、1976年、講談社の第12回なかよし・少女フレンド新人漫画賞に『光めざして飛んでいけ』が入賞し、同社の少女漫画雑誌『なかよし』の増刊号に掲載されてデビュー。1987年には『なな色マジック』で第11回講談社漫画賞を受賞。朝霧 夕名義での活動も行っている。 1990年代前半までは、主に講談社の少女漫画雑誌にて少女漫画を描いていた。その後は講談社を離れ、小説を執筆したりボーイズラブ (BL) 漫画に進出したりしている。 なお、デビュー前にBL漫画を持ち込んだところ、「このような作品は理解されません」と否定的に評価され、路線変更してデビューしたといわれている。本人は、当時それでもBL漫画を描き溜めていたとしている。最初の持ち込み作品『サラマンダー』など一部が公式サイトで限定公開されている。

やなせたかし さんの残した言葉【アンパンマンの産みの親】1919年2月6日~2013年10月13日

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「アンパンマンのテーマソングは『なんのために生まれて、なんのために生きるのか』というのですが、実は僕はずいぶん長い間、自分がなんのために生まれたのかよくわからなくて、闇夜の迷路をさまよっていました。」 「人間が一番うれしいことはなんだろう? 長い間、ぼくは考えてきた。 そして結局、人が一番うれしいのは、人をよろこばせることだということがわかりました。実に単純なことです。ひとはひとをよろこばせることが一番うれしい。」 「ごくありふれた日常のなかに、さりげなく、ひっそりと、幸福はかくれています。」 「夢を実現することだけが人生の目的ではない。夢に向かって一歩ずつ一歩ずつ進もうとする。その力が尊いのだ。」 「生きていることが大切なんです。今日まで生きてこられたなら、少しくらいつらくても明日もまた生きられる。そうやっているうちに次が開けてくるのです」 「運をつかむには、自分のやりたいことをずっと継続して、やめないことだ。『継続は力なり』という。同時に『継続は運』なのだ。『運がよけりゃ』と、棚の下でぼた餅が落ちてくるのを待っていても、そんな好都合なことは起こらない。自分でぼた餅をつくってこそ、類は友を呼ぶではないが、いろんな餅が寄ってくるのだと思う。自分自身も、世に出なくとも、代表作がなかなか描けなくても、黙々と漫画を描き続けてきた。アンパンマンはそうした長い歳月から生まれた『運』だったのだ。」 「絶望のとなりに誰かがそっと腰かけた。絶望はとなりの人に聞いた。『あなたはいったい誰ですか?』となりの人は微笑んだ。『私の名前は希望です』」 日本の漫画家、絵本作家、詩人。 有限会社やなせスタジオ社長。 『アンパンマン』の生みの親として知られる。 社団法人日本漫画家協会代表理事理事長、社団法人日本漫画家協会代表理事会長を歴任。

藤子・F・不二雄さんの残した言葉【ドラえもん】1933年12月1日~1996年9月23日

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「子どもの夢と願望はすべての人間の基本」 日本の漫画家、脚本家。 富山県高岡市定塚町出身。 富山県立高岡工芸高等学校電気科卒。 隣接の氷見市出身の安孫子素雄(藤子不二雄Ⓐ)と共に“藤子不二雄”としてコンビを組み、数多くの作品を発表。児童漫画の新時代を築き、第一人者となる。代表作は『ドラえもん』『パーマン』『キテレツ大百科』『エスパー魔美』『21エモン』など。作品の著作権管理は生前に活動拠点としていた藤子・F・不二雄プロが担当している。

臼井儀人さんの残した言葉【クレヨンしんちゃん】1958年4月21日~2009年9月11日

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「学校での成績がよいからといって、社会で認められるとは限らない。」 「いつか無くなるものを求めちゃだめなんだ。無くなるものは、求めるためではなく、そいつで遊ぶために、この世にあるんだから。」 「あなたが明日会う人々の四分の三は、『自分と同じ意見の者はいないか』と必死になって探している。この望みをかなえてやるのが、人に好かれる秘訣である。」 「運命みたいなものをさ。『これでいいのだ』って思うか? それとも『これでいいのか?』って疑うか?」 「一日だけ幸せでいたいならば、床屋にいけ。一週間だけ幸せでいたいなら、車を買え。一ヶ月だけ幸せでいたいなら、結婚をしろ。一年だけ幸せでいたいなら、家を買え。一生幸せでいたいなら、正直でいることだ。」 「正義の反対は悪なんかじゃないんだ。正義の反対は『また別の正義』なんだよ。」 「弱い者ほど相手を許すことができない。許すということは、強さの証だ。」 「夢は逃げない、逃げるのはいつも自分だ。」 「小さな子どもは、何をするか、何を言うか、予想もつかないところがあります。その反応を見ていると、ストレートな球を返してくることもあるけど変化球もあり、時にはボークだったりもします。そのあたりを面白く表現したかったんです。」 日本の漫画家、作詞家。静岡県静岡市生まれ、埼玉県春日部市育ち。男性。代表作は『クレヨンしんちゃん』。本名は臼井 義人。身長174cm。二女の父。血液型はB型。

さくらももこ さんの残した言葉【ちびまる子ちゃん】1965年5月8日~2018年8月15日

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「いいことをしたって、いいことがあるとは限らないんだ。」 「いちいち心配したって心配しなくたってどっちみち結果は同じなんだよ。どうせなるようにしかならねぇんだから、心配するだけ損じゃねえかよ。」 「自分の好きなことがやれて家族が元気ならそれが一番幸せなんだ。」 「命にかかわること以外、どうでもいいことばっかじゃねぇかよ。」 「幸せだから笑うんじゃないよ。笑うから幸せになるんじゃ。」 「許すことができない人間は寂しいね。人生なんて許しまくってなんぼじゃよ。」 「自分をあきらめちゃダメだよ。」 「未来や過去にしばられるような生き方は自然じゃないさ 明日は自分で作るものなのさ。」 「なんでも度を超すのはよくないんだよ。幸せもほどほどがいいんだよ。」 「『ありがとう』の一言で、また頑張ろうって元気になれるのよね。」 「ムダに見える時間も人生には必要らしいよ。」 「お互いの全てを見せ合うのが友達ってもんだろ。」 「信じよう、人の心を この世に悪い人なんていやしないよ。」 日本の漫画家・作詞家・脚本家。 静岡県静岡市清水区出身。また、自身の少女時代をモデルとした代表作『ちびまる子ちゃん』の主人公の名前でもある。血液型はA型。身長159cm。 一男の母親。

赤塚不二夫さんの残した言葉【漫画家】1935年9月14日~2008年8月2日

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「最後につじつまがあってりゃ何やってもいいんだよ。」 「自分だけの小さな世界から抜けられないヤツは好奇心がないんだ。オレなんか、世の中の知らないことにものすごく好奇心をもっていたから、毎日がおもしろかった。」 「差別っていうのはさ、言葉じゃなくて心の中にあるんだよな。『こういうことを言わないようにしようぜ』って言いながら、心の中で思ってることが最低なんだ。」 日本の漫画家。 小学六年生の時、手塚治虫の『ロストワールド』に大いなるショックを受け、漫画家を志す。1956年に貸本漫画『嵐をこえて』でデビュー。 その後赤塚よりも3歳年下の石森章太郎を慕い、トキワ荘に入居。

優さんの残した最後の言葉【おおかみこどもの雨と雪】10月18日~2017年7月1日

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「ちなみに希死念慮が出るくらいのうつ状態はお薬を何度も何度も調整してようやっとなくなりました。でもまたいつか調子が悪くなるんではないかと言う不安はあります」 優‏ @tw__yu 2017年6月24日 (最後のツイート) 日本の漫画家、イラストレーター。愛媛県出身、東京都在住。女性。代表作『おおかみこどもの雨と雪』。

優さんの残した言葉【おおかみこどもの雨と雪】10月18日~2017年7月1日

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「だんなさん、私が死んだら再婚する?」 「しないって」 「でも、わたしの希望としては、傷が癒えたころに誰かと幸せになってほしいなあ」 日本の漫画家、イラストレーター。愛媛県出身、東京都在住。女性。代表作『おおかみこどもの雨と雪』。

吉野朔実さんの残した言葉【漫画家】1959年2月19日~2016年4月20日

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「雨の降らない場所はないのだ。世界中が晴れていることなどないのだ。だから晴れる。いつかは晴れる。今は、私の上に降っているとしても。」 「きっかけなんて何だっていいの、決めるときはいつだって一瞬よ。口に出しちゃえば、あとは走るだけ。」 「大人だと思って、甘く見るなよ。子供が育っただけなんだからな。大人だからって、分別があると思うなよ。」 「罪のない人間なんかいないし、意味のある死なんかない。」 「動物好きな連続殺人犯、子煩悩な麻薬密売人、母親思いの結婚詐欺師。人間悪い面ばかりじゃない。 」 「恋愛も結婚も離婚も一人では出来ません。相手の望みをかなえてやることが自分の幸福であると考えられることが、二人であることの幸福です。双方から物事を考えることが出来れば、離婚でさえも不幸なこととは限らないのです。」 「誰もが人を傷つける可能性を持っている。でも『可能性』は人を殺さない。『ナイフ』も人を殺さない。殺すのはあくまでも『人』だ。人が凶器を振り下ろした時、はじめて血が流れるんだ。」 「人は会うべき人にしか会わない。だからいつでも、自分が行きたい場所に行くんだよ。」 「相手に良かれと思ってやることと、相手がして欲しいと思っていることが一致することは稀なんだ。皆あまり気付いてないけどね。」 「人の振りを見ても、我が身は直せない。」 「理想は限りなく遠く、青春は限りなく病気に近い。」 「知っているのが僕一人であるならば、それは無に等しい。」 「自分より成績の悪い奴がいたからって、自分の点数が上がったわけじゃないんだぜ。」 「例えば恋、古今東西誰も彼も口をそろえて言う。『恋は病である』と。少し違うと思う。異性に焦がれる気持ちは動物的な本能であって、これを病気とは思えない。」 「自分を失うことよりも、あなたを失うことの方が恐ろしい。他人を愛するということは、いつか訪れるであろうその恐怖に耐えることを意味する。それを思えば無駄な時間など一つもないのだ。」 「本当のことが、正しいこととは限らない。まして、いいことばかりとは限らない。」 「お前には、お前の選択も責任もあるだろう。不幸になる自由ってのもあるんだぞ。それが信頼ってもんじゃないか。」 「苦しい人は他人の苦しみに敏感で、それ故自分の好奇心を晴らすために他人の心に踏み込んだりはしません。傷ついた者に、

モンキー・パンチさんの残した言葉【漫画家】1937年5月26日~2019年4月11日

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「道がなけりゃ作っていくまでよ。」 (ルパン) 「なぁに、壁なんてのは、越える為にあるんだ。」 (ルパン) 「考えてみりゃ出会いなんていい加減なもんだ 砂漠で別れた女と出くわすほど、偶然に左右されるくせに 時にはゲームみてぇにそいつの人生を変えちまう。」 (ルパン) 「男はよ、女に騙されるために生きてんだ。」 (ルパン) 「人生を楽しむコツは、どれだけバカなことを考えられるかなんだ。」 (ルパン) 「スリルを楽しむってことさ…本当のスリルをな。怖いのは死ぬ事じゃなくて、退屈なこと。」 (ルパン) 「運命なんてものはない。そんなのは結局自分の行いの結果にすぎないと思ってた。 だけどもよ・・・選ばれちまう時があるんだ運命ってヤツにさ。」 (ルパン) 「オレはな、3つの条件のそろった女を見ると、どうしても欲しくなる。 ひとつは美人であること。次にプロポーションがいいこと。そして、もうひとつはオレのテキであること。」 (ルパン) 「組織や国に忠誠誓って何になる。人生楽しめよ。」 (ルパン) 「自分を大切にするから、他人にも優しくなれるんだ。」 (次元) 「俺は神様が出てくる話は信用しねえことにしてるんだ。」 (次元) 「大事に使えば一生物だ。 大切なのはメンテナンスさ。おじさんなんかもう40年も使ってんだよ。」 (次元) 「銃ってのはな、撃った数じゃねぇんだよ。」 (次元) 「チップを弾むから勇気をわけてくれねえか。」 (次元) 「仲間を売るような真似をするくらいなら喜んで死ぬ。」 (五右衛門) 「つまらんものを切ってしまった・・。」 (五右衛門) 「裏切りは女のアクセサリーよ。」 (不二子) 「女の欲望は限りないものよ。 この宝の山のように永遠に輝き続けたいのが女心なのよ。」 (不二子) 「命を惜しまない男は立派よ。 だけど死ぬなら孤独に死になさい。 誰も愛さずに、愛されずによ…悲しむ女が減るわ。」 (不二子) 「いい女ってのはね 自分で自分を守れる女よ。」 (不二子) 日本の漫画家。学位は修士。本名は加藤 一彦。筆名として加東 一彦、ムタ 永二、かとう・一彦といった名義を用いたこともある。

藤原ここあ さんの残した最後の言葉【漫画家】1983年4月28日~2015年3月31日

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「実家です。恐ろしい程の田舎でしたが景色だけは美しかった。こことももう明後日でお別れです。」 (最後のツイート) 日本の漫画家・イラストレーター。女性。千葉県松戸市出身。血液型はB型。

手塚治虫さんの残した最後の言葉【漫画家】1928年11月3日~1989年2月9日

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「頼むから仕事をさせてくれ」 (最後の言葉) 日本の漫画家、アニメーター、アニメ監督。戦後日本においてストーリー漫画の第一人者として、漫画表現の開拓者的な存在として活躍した。 兵庫県宝塚市出身同市名誉市民。大阪帝国大学附属医学専門部を卒業。医師免許取得のち医学博士。血液型A型。

手塚治虫さんの残した言葉【漫画家】1928年11月3日~1989年2月9日

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「仕事に強い信念と情熱を長く持ち続けられる女性。しかも世の中すべてに、やさしい愛を注げる心の広い女性…。それをぼくは望みます。」 「僕の体験から言えることは、好きなことで、絶対にあきないものをひとつ、続けて欲しいということです。」 「人間は、生きている間に、なぜもっと素晴らしい人生を送らないのかなぁ。素晴らしい満足しきった人生を送れば、死ぬ時にそんなに苦しまなくたっていいんだろうなぁ。」 「今は失われてしまったそれらは、しかし、決して取り戻せないわけではないのです。」 「自然への畏怖をなくし、傲慢になった人類には必ずしっぺ返しが来る。」 「子供は、その時点時点で常に現代人であり、また、未来人でもある。」 「時代は移り変わっても、子供たちの本質は変わらない。」 「現代の教育は、どこか衰弱しているというか、勘違いでもしているようだ。」 「反戦だの平和だのの政治的なお題目では、子供はついてこない。率先して生命の尊厳から教えていく姿勢が大事。」 「子どもに殺しを教えることだけはごめんだ。世界中の子どもが正義だといって殺しを教えられたら、いつか世界中の人間は全滅するだろうな。」 「『ダメな子』とか、『わるい子』なんて子どもは、ひとりだっていないのです。もし、そんなレッテルのついた子どもがいるとしたら、それはもう、その子たちをそんなふうに見ることしかできない。大人たちの精神が貧しいのだ。」 「日本の明日を担う子供達に、こんなものを読ませるのですか?」 「40年間負けん気でもってたみたいなもんです。逆に言うと、劣等感や怯えがあったから、続いたともいえるんですね。」 「漫画から漫画の勉強するのはやめなさい。一流の映画をみろ、一流の音楽を聞け、一流の芝居を見ろ、一流の本を読め。そして、それから自分の世界を作れ。」 「仮病は、この世でいちばん重い病気だよ。」 「漫画に必要なのは、風刺と告発の精神である。」 「名声も財産もできて、あぐらをかいてしまうと、逆に面白くなくなるわけです。」 「人間の『善』が、常に『悪』よりも先んじてほしいものです。」 「合理化はゆとりや遊びの空間を消して、むしろ人を遠ざけることになります。」 「人の命なんて、心配してもしなくても、終わる時には無情に終わるもの。」 「今ここで自分が描かなければ、誰が描くんだろう。」 「後