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小林麻央さんの残した最後の言葉【アナウンサー】1982年7月21日~2017年6月22日

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「愛している」 (最後の言葉) 日本のフリーアナウンサー、キャスター。 新潟県小千谷市生まれ、東京都出身。セント・フォース所属。 姉はフリーアナウンサーの小林麻耶。夫は歌舞伎俳優の十一代目市川海老蔵。

小林麻央さんの残した言葉【アナウンサー】1982年7月21日~2017年6月22日

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「暗いことや 悲しいことでだって、誰かの心にプラスでつながれる瞬間があるのだと、知りました。 つまり なーんでも、なーんにもなりうるのだ、と。 好きや嫌いはあるけれど、良いや悪いはない。だから、ただ、ただ、私は、今の自分を生きるだけで、 その生き方に、良いも悪いもないのだ、と。」 「『色どり豊かな人生』与えられた時間を、病気の色だけに支配されることは、やめました。なりたい自分になる。人生をより色どり豊かなものにするために。 だって、人生は一度きりだから。」 「闘病してから1年以上過ぎたときに『もう1年以上も迷惑をかけて、これ以上迷惑をかけられない』と言ったことがあるんです。 そうしたら主人が『1年がなんだよ。ずっとなんだよ。麻央のお母さんがずっとお母さんで、俺がずっと麻央の夫で、みんな家族なんだよ。1年がなんだよ。ずっと支えあうんだよ』って言ってくれてその言葉は本当にすごくうれしかったですね。」 人の死は、病気であるかにかかわらず、いつ訪れるか分かりません。例えば、私が今死んだら、人はどう思うでしょうか。 『まだ34歳の若さで、可哀想に』 『小さな子供を残して、可哀想に』 でしょうか?? 私は、そんなふうには思われたくありません。なぜなら、病気になったことが 私の人生を代表する出来事ではないからです。  私の人生は、夢を叶え、時に苦しみもがき、愛する人に出会い、2人の宝物を授かり、家族に愛され、愛した、色どり豊かな人生だからです。 日本のフリーアナウンサー、キャスター。 新潟県小千谷市生まれ、東京都出身。セント・フォース所属。 姉はフリーアナウンサーの小林麻耶。夫は歌舞伎俳優の十一代目市川海老蔵。

ヴィニー・ポールさんの残した言葉【ミュージシャン】1964年3月11日~2018年6月22日

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「毎日、時計が3時33分を示す度に、彼は俺達の側にいることを思い出させてくれた。3、特に333はあいつにとって最高の数字、大好きな数字だったんだ。」 「一緒に歌えるもの、パーソナルに共感できるものをみんな求めている。そういう音楽には命を捧げられる。PANTERAはまさにそういうバンドだった。」 「俺達はあくまでもファンのために音楽を作っているんだから、誰が何を言おうが書こうが関係ない。」 「PANTERAの作品は、100%バンドによるものだ。皆が総ての力を曲に注ぎ込んでいるんであって、1人のアイディア、1人のヴィジョンじゃない。」 「大事なのは曲。肝心なのは曲なんだ。」 「俺は過去に生きていない。俺は今を生きている。」 「曲にはグルーヴが必要なんだ。それがあるから、みんな身体が動かせるんだよ。殆どのメタルバンドはそれを見過ごしているから、その要素がないんだ。」 「ダイムバッグ(・ダレル)の後任が務まる奴など1人もいないよ。あいつは大きな存在だったし、あいつがやったことは、あまりにも特別なことだった・・・・。」 「俺に言わせれば、PANTERAはまだ頂点にも達していなかったんだ。バンドにはまだまだやることが残されていたし、俺達の前には未来が開けていたんだよ。」 「正直に言って、俺と弟はPANTERAがヘヴィ・メタルのROLLING STONESになることを思い描いていたんだ。バンドを永遠に続けたかった。」 「俺はずっと19歳のままだ。結婚もしてないし、子供もいない。俺は音楽と結婚していて、それだけに総てを捧げている。情熱は以前とちっとも変わっていないよ。」 「やたらと変化したがるミュージシャンというのは、自分達に自信がないのさ。誠意を持って音楽を作っていないから、周りにいる業界人、例えばレコード会社やMTVの人間の意見に合わせて変化してしまうんだ。」 「何かを探りながらやる時には危険な要素は付き物だし、安全圏に入ってしまうと、それまでと同じ強烈さは出て来なくなる。」 「下積み時代には“もしかしたら、このまま一生成功できないかもしれない・・・”という恐怖を感じたことはあった。でも、音楽に対する誠意を失ったことは一度もないよ。」 「良い時も悪い時もあったよ。でも、どんなバンドだってそうだろうし、俺達だってやっていくうちにいろいろと学んだんだ。そ

故人が残した名言集【6月22日】

ヴィニー・ポールさんの残した言葉【ミュージシャン】1964年3月11日~2018年6月22日 「毎日、時計が3時33分を示す度に、彼は俺達の側にいることを思い出させてくれた。3、特に333はあいつにとって最高の数字、大好きな数字だったんだ。」 「一緒に歌えるもの、パーソナルに共感できるものをみんな求めている。そういう音楽には命を捧げられる。PANTERAはまさにそういうバンドだった。」 「俺達はあくまでもファンのために音楽を作っているんだから、誰が何を言おうが書こうが関係ない。」 「PANTERAの作品は、100%バンドによるものだ。皆が総ての力を曲に注ぎ込んでいるんであって、1人のアイディア、1人のヴィジョンじゃない。」 「大事なのは曲。肝心なのは曲なんだ。」 「俺は過去に生きていない。俺は今を生きている。」 「曲にはグルーヴが必要なんだ。それがあるから、みんな身体が動かせるんだよ。殆どのメタルバンドはそれを見過ごしているから、その要素がないんだ。」 「ダイムバッグ(・ダレル)の後任が務まる奴など1人もいないよ。あいつは大きな存在だったし、あいつがやったことは、あまりにも特別なことだった・・・・。」 「俺に言わせれば、PANTERAはまだ頂点にも達していなかったんだ。バンドにはまだまだやることが残されていたし、俺達の前には未来が開けていたんだよ。」 「正直に言って、俺と弟はPANTERAがヘヴィ・メタルのROLLING STONESになることを思い描いていたんだ。バンドを永遠に続けたかった。」 「俺はずっと19歳のままだ。結婚もしてないし、子供もいない。俺は音楽と結婚していて、それだけに総てを捧げている。情熱は以前とちっとも変わっていないよ。」 「やたらと変化したがるミュージシャンというのは、自分達に自信がないのさ。誠意を持って音楽を作っていないから、周りにいる業界人、例えばレコード会社やMTVの人間の意見に合わせて変化してしまうんだ。」 「何かを探りながらやる時には危険な要素は付き物だし、安全圏に入ってしまうと、それまでと同じ強烈さは出て来なくなる。」 「下積み時代には“もしかしたら、このまま一生成功できないかもしれない・・・”という恐怖を感じたことはあった。でも、音楽に対する誠意を失ったことは一度もないよ。」 「良い時も悪い時もあ