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緒形拳さんの残した言葉【俳優】1937年7月20日~2008年10月5日

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「演技をするうえで重要なのは、小手先の技術を駆使するよりも、心で演じること。」 日本の俳優。本名は緒形 明伸。東京府東京市牛込区出身。血液型はB型、身長173cm、体重70kg、趣味は絵手紙・水墨画。長男は緒形幹太、次男は緒形直人で共に俳優。義理の娘に女優の仙道敦子がいる。 1957年、東京都立竹早高等学校卒業後、憧れていた新国劇の二大看板俳優の一人、辰巳柳太郎の弟子になるべく、1958年新国劇に入団。辰巳の付き人となる。1960年、新国劇のもう一人の看板俳優、島田正吾に見出され、『遠い一つの道』で主人公のボクサー役に抜擢された。作品は映画化され映画デビューも果たす。 1965年、大河ドラマ『太閤記』の主役に抜擢され、新国劇の活動も兼務して1年活動した。引き続き1966年の大河ドラマ『源義経』に弁慶役で出演し、2年続けて大河に出演する稀有な活動をし、その後も数々の大河ドラマに出演し、常連俳優の1人として活躍した。同年、新国劇所属の女優・高倉典江と結婚。1968年、新国劇を退団。映画・テレビドラマに活躍の場を移した。テレビドラマ『必殺仕掛人』シリーズの藤枝梅安を演じ、映画化もされ、『必殺必中仕事屋稼業』にも出演した。 1978年、『鬼畜』に主演し、数々の男優賞を受賞する。その後も1979年に『復讐するは我にあり』、1983年に『楢山節考』に主演した。合間に出演した1981年の映画『魔界転生』では宮本武蔵に扮して、柳生十兵衛(千葉真一)と激闘を演じ、新国劇で培った殺陣を披露している。1999年、池端俊策監督の『あつもの』で「フランス・ベノデ映画祭グランプリ」を受ける。 2000年、紫綬褒章受章。同年に山崎努も受章している。

緒形拳さんの残した最後の言葉【俳優】1937年7月20日~2008年10月5日

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「お前身体大事にしろよ! 良い映画沢山創ってくれよな! 治ったら、うなぎ喰いに行こうな、白焼きをな」 (津川雅彦へ) (最後の言葉) 日本の俳優。本名は緒形 明伸。東京府東京市牛込区出身。血液型はB型、身長173cm、体重70kg、趣味は絵手紙・水墨画。長男は緒形幹太、次男は緒形直人で共に俳優。義理の娘に女優の仙道敦子がいる。 1957年、東京都立竹早高等学校卒業後、憧れていた新国劇の二大看板俳優の一人、辰巳柳太郎の弟子になるべく、1958年新国劇に入団。辰巳の付き人となる。1960年、新国劇のもう一人の看板俳優、島田正吾に見出され、『遠い一つの道』で主人公のボクサー役に抜擢された。作品は映画化され映画デビューも果たす。 1965年、大河ドラマ『太閤記』の主役に抜擢され、新国劇の活動も兼務して1年活動した。引き続き1966年の大河ドラマ『源義経』に弁慶役で出演し、2年続けて大河に出演する稀有な活動をし、その後も数々の大河ドラマに出演し、常連俳優の1人として活躍した。同年、新国劇所属の女優・高倉典江と結婚。1968年、新国劇を退団。映画・テレビドラマに活躍の場を移した。テレビドラマ『必殺仕掛人』シリーズの藤枝梅安を演じ、映画化もされ、『必殺必中仕事屋稼業』にも出演した。 1978年、『鬼畜』に主演し、数々の男優賞を受賞する。その後も1979年に『復讐するは我にあり』、1983年に『楢山節考』に主演した。合間に出演した1981年の映画『魔界転生』では宮本武蔵に扮して、柳生十兵衛(千葉真一)と激闘を演じ、新国劇で培った殺陣を披露している。1999年、池端俊策監督の『あつもの』で「フランス・ベノデ映画祭グランプリ」を受ける。 2000年、紫綬褒章受章。同年に山崎努も受章している。