花柳寿南海さんの残した言葉【人間国宝・日本舞踊】1924年9月14日~2018年9月11日
「バレーやオペラもいいけれど、日本舞踊も捨てたものではない」 東京都生まれの日本舞踊家。本名は柴崎照子(旧姓・福井)。文化功労者。 1924年、東京都出身。横浜第一高等女学校卒業。3歳から日本舞踊を習い始め1932年に花柳寿京、花柳寿陽に師事し、1942年に花柳寿南海を名乗る。1946年に花柳寿輔の内弟子となる。1967年に「花柳寿南海とおどりを研究する会」、1989年に「花柳寿南海舞踊の会」を主宰する。山姥伝説をもとにした「山姥物」などの古典を得意とする一方で創作舞踊にも力を注いだ。1966年、芸術選奨文部大臣賞受賞。1992年、日本芸術院賞受賞。1997年、勲四等宝冠章受章。2004年、重要無形文化財保持者(人間国宝)認定。2005年、文化功労者。2018年9月11日、老衰のため死去。享年93歳。叙従四位、旭日中綬章追贈。