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早坂暁さんの残した最後の言葉【小説家】 1929年8月11日~2017年12月16日

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『あなたたちに伝えたいこと』 (地元の中学生たちへの最後のメッセージ) あなたたちは、自分がどのようにして生まれてきたと思いますか?もちろん、お父さんとお母さんがいないと生まれてきません。 いや、うちはお母さんだけだよ、お父さんだけなんだ、という人もいるかもしれません。 でもあなたたちがお母さんのおなかに宿ったときは、一人ではなかったはずです。 お父さん、お母さんにはその両親がいて、それはあなたたちのおじいさんやおばあさんだけど、そのまたおじいさん、おばあさん…。 その数は五代前までさかのぼると、単純計算で約六十人、十代前だと何と約二千人になります。 その一人でも欠けたら、今あなたたちはここに存在していません。 つまり、あなたたちが生まれたのには、大きな大きな意味があるのです。 あなたたちは、誰もがすべて、かけがえのないひとりひとりなのです。 そして、あなたたちは、自分の名前について聞いたことがありますか? 自分の名前にどういう意味があるのか、どういう気持で名付けられたのかを知るのは、とても大切なことです。もし、まだ知らない人がいたら、今日帰っておうちで聞いてみて下さい。 ちなみに僕の名前は、四国遍路をしていたお坊さんに付けて貰いました。 僕は、生まれたときにとても体が弱く、お医者さんから十才までは生きられないだろうと言われました。 お医者さんからも見放され、もうお大師さまにおすがりするしかないと考えた母親は、何とか助けたいと、小さな僕を乳母車に乗せて四国遍路に出ました。 大人でも大変なお遍路です。今のように車も電話もありません。もちろんコンビニもありません。そんな時代に乳母車を押して四国を歩き通すのはさぞかし大変だったと思います。 途中、いろんな人に助けて貰いました。山の上の札所に行くときは、知らないおじさんがおぶってくれ、海辺ではお接待で漁師の女の人のお乳を貰ったりもしたそうです。 母親だけではとうてい四国を回れなかったでしょう。いろんな人に助けて貰いながら八十八カ所を回ることができたのです。 そのおかげでしょうか、僕は八十八歳になった今も元気です。 人は人と結びあい、触れ合わなくては生きていけない生き物です。たった一人では生きていけません。人が一番学ばなければならないことは、どうやって助け合い、どうやって分かち合う

早坂暁さんの残した言葉【小説家】 1929年8月11日~2017年12月16日

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「夢です。夢がなくては、人は大きくならん。米や魚は体を大きくするだけだよ。」 日本の小説家、脚本家。本名、富田 祥資。 愛媛県温泉郡北条町生まれ。日本大学芸術学部演劇学科卒業。 新聞社編集長を経て、いけばな評論家として活躍。日本テレビで制作・放送された『ノンフィクション劇場』には、放送作家として全作品に関わる。 その後テレビドラマや映画の脚本、小説を手がけ、常に庶民の目線で独自の作風を築く。ドキュメンタリーや舞台戯曲、演出も手がけ、その総数は1000本以上ともいわれる。 代表作は『天下御免』『夢千代日記』『花へんろ』『ダウンタウン・ヒーローズ』『華日記・昭和生け花戦国史』『戦艦大和日記』など。必殺シリーズでは脚本をはじめ、オープニングナレーションも多数手掛けている。なかでも『必殺からくり人』の脚本は史実と虚・世相を織り交ぜながらの巧みなストーリとなっており、既存の必殺シリーズとは一線を画した内容で評価が高い。 生家が遍路みちに面した大きな商家で、幼少より遍路に接してきたこと、また、遍路に置き去りにされ、生家が引き取って「妹」として育った少女が、広島で原爆に遭い死亡したと思われることなどから、遍路や原爆に関する作品や論評、活動も多く、生家をモデルにした『花へんろ』、胎内被爆者が主人公の『夢千代日記』につながっている。