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今川義元さんの残した辞世の句【海道一の弓取り】1519年~1560年6月12日

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「夏山の 茂みふきわけ もる月は 風のひまこそ 曇りなりけれ。」 (辞世の句) 戦国時代の駿河国及び遠江国の守護大名・戦国大名。 今川氏第11代当主。婚姻関係により、武田信玄や北条氏康とは義兄弟にあたる。 「海道一の弓取り」の異名を持つ。 寄親・寄子制度を設けての合理的な軍事改革等の領国経営のみならず、外征面でも才覚を発揮して今川氏の戦国大名への転身を成功させた。 戦国時代の駿河、遠江(今の静岡県)の大名。 別名「海道一の弓取り」 桶狭間の戦いに敗れ、討ち死に。

今川義元さんの残した言葉【海道一の弓取り】1519年~1560年6月12日

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「昨日なし 明日またしらぬ人はただ 今日のうちこそ命なりけれ」 「義元の矛先には魔物だろうと鬼だろうとかなうまい。」 「寄親(よりおや)は今川家への奉公を第一に心がけ、与力(よりき)にもそう言葉かけよ。」 「汝既に成長しけれども、童心未だ失せず。」 「住職は弟子の持つ智恵や能力を検討せずに、勝手に寺を譲ってはならない。」 戦国時代の駿河国及び遠江国の守護大名・戦国大名。 今川氏第11代当主。婚姻関係により、武田信玄や北条氏康とは義兄弟にあたる。 「海道一の弓取り」の異名を持つ。 寄親・寄子制度を設けての合理的な軍事改革等の領国経営のみならず、外征面でも才覚を発揮して今川氏の戦国大名への転身を成功させた。 戦国時代の駿河、遠江(今の静岡県)の大名。 別名「海道一の弓取り」 桶狭間の戦いに敗れ、討ち死に。