投稿

ラベル(5月20日)が付いた投稿を表示しています

由利徹さんの残した言葉【喜劇俳優】1921年5月13日~1999年5月20日

イメージ
「オシャ、マンベ」 日本の喜劇俳優。本名:奥田 清治。

池田守男さんの残した言葉【資生堂の変革者】1936年12月25日~2013年5月20日

イメージ
「ほんとうに誠実に生きるためには朝、決めたものを、 夜、NOと言わざるを得ないこともあるかもしれない。」 株式会社資生堂相談役、資生堂美容技術専門学校理事長、東洋英和女学院理事長・院長、株式会社小松製作所社外取締役、教育再生会議座長代理、日本基督教団銀座教会員。香川県高松市出身。神学部卒の異色経営者として知られた。

渡邊亮徳さんの残した言葉【映画プロデューサー】1930年2月18日~2019年5月20日

イメージ
「マーベルには俺から言っとくから」 日本の映画・実写特撮、アニメーション、テレビプロデューサー、元東映社員。 東京府出身。専修大学卒業。東映株式会社本社副社長、東映ビデオ株式会社代表取締役社長、株式会社東急エージェンシー顧問、株式会社伊藤園、株式会社東北新社顧問、日本映画テレビプロデューサー協会副会長などを務めた。

ニキ・ラウダさんの残した言葉【レーシングドライバー】1949年2月22日~2019年5月20日

イメージ
「肉体的には、いつかレースが出来る状態になるだろう。しかし、精神的にレースが出来る状態になることは別だ。恐怖心を消し去ってレースが出来るようにするためには、思い切って早めにレースに出場することが最良だと考えた。レースに復帰するのは早ければ早いほどよい」 「自分の中にいる負けようとする自分、負けるために言い訳を探している自分を逆に叩きのめさなければならない」 「事故の恐ろしさは、ひどくこたえた。だが、その後に大きな影響を与えたわけではない。事故のショックで精神的にダメになるようなことは自分自身で許せなかった。恐怖心を抑制するのは意思の力だ。意思の力は強くすることが出来る」 オーストリア出身のレーシングドライバー。 1975年、1977年、1984年のF1チャンピオン。「スーパーラット」「不死鳥」の異名があり、ミスが極めて少ない走りから「コンピューター」の渾名を持つ。実業家の一面もあり、引退後はF1チームの役職を歴任した。

降旗康男さんの残した言葉【映画監督】1934年8月19日~2019年5月20日

イメージ
「子どもの頃、戦争の最中のことですが、ある日の放課後、担任の先生に呼ばれて「サイパンが陥落した。日本は戦争に負けるよ。お前はお調子者だから、気軽に少年兵志願に手を挙げたりしちゃいけないよ」と言われました。みんなが日本は勝つと信じていた時代だっただけに驚いたと同時に、この先生のようにものを考える人がいることに目を開かされました。そうしたら、今度は近所にやってきた特攻隊の兵士が「君たちは志願して兵隊になってはいけない」と同じことを話してくれた。そのときに「大勢に流されない人たちがいるのだ」と知り、素直にすごいなあと思ったんです。それから絶対、大勢に流されてはいけないと心に言い聞かせ、自分の生きていく指針となっています。安易に迎合しない、自分の意志に逆らうことをしないのは、その経験が大きい。」 「映画には文章と違って『接続詞』がない。見る人の人生がそこを埋める。」 「若いころ何度か挫折を経験し、さすがにもう辞めようと思っていた矢先、宮島義勇さんというカメラマンと出会った。そこで変わりましたね。宮島さんは、たとえば雲を撮影するシーンなど、納得できる雲が出るまで2週間待ち続けたりするわけです。最初は驚いたのですが『映画っていうものは、ただ撮ればいいんじゃない、何を撮るかだ』と。その宮島さんの姿勢、思いが僕にしみ入った。映画の面白さを身体にたたきこんでもらった気がします。」 「世の中に負けた人、はじき出された人、そうならざるを得なかった人。そういった、世間で言うところの『負け組』の人々の生き方にこそ、本当の人間のおかしさ、美しさ、かわいらしさがある。」 日本の映画監督。長野県松本市出身。

故人が残した名言集【5月20日】

降旗康男さんの残した言葉【映画監督】1934年8月19日~2019年5月20日 「子どもの頃、戦争の最中のことですが、ある日の放課後、担任の先生に呼ばれて『サイパンが陥落した。日本は戦争に負けるよ。お前はお調子者だから、気軽に少年兵志願に手を挙げたりしちゃいけないよ』と言われました。みんなが日本は勝つと信じていた時代だっただけに驚いたと同時に、この先生のようにものを考える人がいることに目を開かされました。そうしたら、今度は近所にやってきた特攻隊の兵士が『君たちは志願して兵隊になってはいけない』と同じことを話してくれた。そのときに『大勢に流されない人たちがいるのだ』と知り、素直にすごいなあと思ったんです。それから絶対、大勢に流されてはいけないと心に言い聞かせ、自分の生きていく指針となっています。安易に迎合しない、自分の意志に逆らうことをしないのは、その経験が大きい。」 「映画には文章と違って『接続詞』がない。見る人の人生がそこを埋める。」 「若いころ何度か挫折を経験し、さすがにもう辞めようと思っていた矢先、宮島義勇さんというカメラマンと出会った。そこで変わりましたね。宮島さんは、たとえば雲を撮影するシーンなど、納得できる雲が出るまで2週間待ち続けたりするわけです。最初は驚いたのですが『映画っていうものは、ただ撮ればいいんじゃない、何を撮るかだ』と。その宮島さんの姿勢、思いが僕にしみ入った。映画の面白さを身体にたたきこんでもらった気がします。」 「世の中に負けた人、はじき出された人、そうならざるを得なかった人。そういった、世間で言うところの『負け組』の人々の生き方にこそ、本当の人間のおかしさ、美しさ、かわいらしさがある。」 日本の映画監督。長野県松本市出身。 ニキ・ラウダさんの残した言葉【レーシングドライバー】1949年2月22日~2019年5月20日 「肉体的には、いつかレースが出来る状態になるだろう。しかし、精神的にレースが出来る状態になることは別だ。恐怖心を消し去ってレースが出来るようにするためには、思い切って早めにレースに出場することが最良だと考えた。レースに復帰するのは早ければ早いほどよい」 「自分の中にいる負けようとする自分、負けるために言い訳を探している自分を逆に叩きのめさなければならない」 「事故の恐ろしさは、ひどくこたえた。だが、