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石田三成さんの残した辞世の句【治部少輔】1560年~1600年11月6日

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「筑摩江や 芦間に灯す かがり火と ともに消えゆく 我が身なりけり」 (辞世の句) 安土桃山時代の武将・大名。豊臣家家臣。佐和山城主。本姓:藤原氏 豊臣政権の奉行として活動し、五奉行のうちの一人となる。豊臣秀吉の死後、徳川家康打倒のために決起して、毛利輝元ら諸大名とともに西軍を組織したが、関ヶ原の戦いにおいて敗れ、京都六条河原で処刑された。

石田三成さんの残した言葉【治部少輔】1560年~1600年11月6日

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「われ、大軍を率い、天下わけ目の軍しけることは、天地やぶれざる間は、かくれあらじ、ちつとも心にはづる事はし。」 「大義とおもふものは、首をはねらるる期までも命を惜しむは、なにとぞ本意を達せんと思ふゆえなり。」 「汝に二心あるを知らざりしは愚かなり。されど、義を捨て人を欺きて、裏切したるは、武将の恥辱、末の世までも語り伝へて笑うべし。」 「成るべく、季節のものをば進上ありたし。」 「常に奉公人は、主君より取物を遣ひ合せて、残すべからず。残すは盗なり。つかひ過ごして借銭するは愚人なり。」 安土桃山時代の武将・大名。豊臣家家臣。佐和山城主。本姓:藤原氏 豊臣政権の奉行として活動し、五奉行のうちの一人となる。豊臣秀吉の死後、徳川家康打倒のために決起して、毛利輝元ら諸大名とともに西軍を組織したが、関ヶ原の戦いにおいて敗れ、京都六条河原で処刑された。