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淀川長治さんの残した最後の言葉【日曜洋画劇場】1909年4月10日~1998年11月11日

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「今日はこんなガラガラ声で本当に申し訳ございません。」 (最後の言葉) 「人間が生きるということはどういうことかといつも考える。すると死ぬことだということに帰着する。死ぬとわかれば今日この一日を十分に生きねば損だと思う。」 (最後の言葉) 雑誌編集者、映画解説者、映画評論家。約32年に渡って務めた『日曜洋画劇場』の解説の締め括りに「サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ!」と強調して言う独特の語り口から全国的に有名になり、「ヨドチョーさん」「ヨドさん」「サヨナラおじさん」等と呼ばれる程に多くの視聴者に親しまれてきた。 生涯独身を貫いたのは、自身の性的指向の他に「淀川家の血筋を絶やさぬためだけに妾にさせられた実母を哀れみ、辛い思いをさせた淀川家に復讐するため、結婚せずに子供をつくらないことで血筋を絶やした」ということを著書『私はまだかつて嫌いな人に逢ったことがない』の中で記述している。母は息子の将来を案じ、一度は花嫁候補の女性を家に連れてきて1週間一緒に住まわせたこともあるが、本人が全く相手にしない為に帰られてしまったと後に自身が語っている。他にも数度は結婚のチャンスがあり、一度は相手の女性にプロポーズしたが、相手に子供がいたことが分かり、苦悩の末に断念したという。自伝では「じっさい私には女性的なところがあって、女性とのセックスは全うするも、セックスの相手よりも女性をベスト・フレンドにしてしまう。これは私があまりにも女系家族で芸者屋育ちで、祖母、母、姉二人に盲愛されて自然にそのぬるま湯にべっとりつかって、キャッチボールよりも、おままごとのほうを好むようになったためである」と語っている。淀川はまた、いつも母と一緒に入浴していたとも語っている。

淀川長治さんの残した言葉【日曜洋画劇場】1909年4月10日~1998年11月11日

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「それでは次週を御期待(お楽しみ)下さい。サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ…」 雑誌編集者、映画解説者、映画評論家。約32年に渡って務めた『日曜洋画劇場』の解説の締め括りに「サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ!」と強調して言う独特の語り口から全国的に有名になり、「ヨドチョーさん」「ヨドさん」「サヨナラおじさん」等と呼ばれる程に多くの視聴者に親しまれてきた。 生涯独身を貫いたのは、自身の性的指向の他に「淀川家の血筋を絶やさぬためだけに妾にさせられた実母を哀れみ、辛い思いをさせた淀川家に復讐するため、結婚せずに子供をつくらないことで血筋を絶やした」ということを著書『私はまだかつて嫌いな人に逢ったことがない』の中で記述している。母は息子の将来を案じ、一度は花嫁候補の女性を家に連れてきて1週間一緒に住まわせたこともあるが、本人が全く相手にしない為に帰られてしまったと後に自身が語っている。他にも数度は結婚のチャンスがあり、一度は相手の女性にプロポーズしたが、相手に子供がいたことが分かり、苦悩の末に断念したという。自伝では「じっさい私には女性的なところがあって、女性とのセックスは全うするも、セックスの相手よりも女性をベスト・フレンドにしてしまう。これは私があまりにも女系家族で芸者屋育ちで、祖母、母、姉二人に盲愛されて自然にそのぬるま湯にべっとりつかって、キャッチボールよりも、おままごとのほうを好むようになったためである」と語っている。淀川はまた、いつも母と一緒に入浴していたとも語っている。