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良寛さんの残した言葉【天上大風】1758年11月2日~1831年2月18日

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「ぬばたまの、夜はすがらにくそまり明かし、あからひく、昼はかわやに、走りあえなく」 「子供の純真な心こそが誠の仏の心。」 「災難に逢う時節には災難に逢うがよく候、死ぬる時節には死ぬがよく候、是はこれ災難をのがるる妙法にて候」 「この宮の木(こ)したに子供等と遊ぶ夕日は暮れずともよし」 「風きよし月はさやけしいざともに踊り明かさむ老いのなごりに」 「歌もよまむ手毬もつかむ野にもいでむ心ひとつを定めかねつも」 「花、無心にして蝶を招き 蝶、無心にして花を尋ねる 花、開くとき蝶来たり 蝶、来るとき花開く 知らずして帝則に従う」 「仙桂和尚は真の道者 貌(ぼう)は古にして 言は朴(ぼく)なるの客 三十年 国仙(こくせん)の会(え)に在りて 参禅せず読経せず宗門の一句すらいわず 菜園を作って大衆に供す 当事我之を見れども見えず 之に遭(あ)い之に遭えども遭わず ああ今之にならわんとするも得可からず 仙桂和尚は真の道者。」 「あまりしゃべりすぎないこと。」 「言葉はよく吟味してしゃべりすぎてはいけない。」 「我が生(しょう) 何処(いずこ)より来たる 去って 何処にか行く。」 「静かにひとりで暮らすこと。」 「相手に対して嫌な感情をもって人を叱ってはいけない。」 「なにものが 苦しきことと 問うならば 人をへだつる心と答えよ。」 「何ごとにも怒らず、つらいことも我慢すること。」 「他人がいる前で人を叱ってはいけない。」 「死ぬ月日さえも丁度良い。」 「人さまに迷惑をかけたり、恥ずかしいことは慎むこと。」 「知らないことを知っているふうに言うのはよくない。」 「自惚れることも 卑下することもない 上もなければ下もない。」 「食べ物は大事に少しだけいただくこと。」 「神や仏のことを軽々しく口にしてはいけない。」 「地獄へ行こうと 極楽へ行こうと 行ったところが丁度良い。」 「自分の心をきちんと制御すること。」 「心の中で怒りながら人に理屈を説いてはいけない。」 「歩いたお前の人生は、悪くもなければ良くもない お前にとって丁度良い。」 「あれこれと人に講釈するのはやめなさい。」 「その人が気にしていることを言ってはなら

良寛さんの残した辞世の句【天上大風】1758年11月2日~1831年2月18日

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「裏を見せ 表を見せて 散るもみじ」 (辞世の句) 江戸時代後期の曹洞宗の僧侶、歌人、漢詩人、書家。号は大愚。本名は山本栄蔵。 良寛は「子供の純真な心こそが誠の仏の心」と解釈し、子ども達と遊ぶことを好み、隠れん坊や、手毬をついたりしてよく遊んだという(懐には常に手毬を入れていたと云う)。名書家として知られた良寛であったが、高名な人物からの書の依頼は断る傾向があったが、子ども達から凧に文字を書いて欲しいと頼まれた時には喜んで『天上大風』(てんじょうたいふう)の字を書いた(現在でもその凧は残っている)。

斎藤茂吉さんの残した言葉【歌人】1882年5月14日~1953年2月25日

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「あきらめることは弱い人間がやることでもなければ、いままでの努力が水の泡になることでもない。」 「僕は老残の身をいたはりつつ、せい一ぱいの為事をして、この世を去りませう。」 「清く正しきものは常に勝ちます。」 「実相に観入して自然・自己一元の生を写す。これが歌の上の写生で、写生は決して単なる記述などではない。」 「己の行く道は間違ってはいない。むろん苦険道であるから時々へたばる時がある。けれども己は歩兵のように歩む。」 「なにかを光らせるには、光るまで磨くだけでいい。」 日本の歌人、精神科医。伊藤左千夫門下であり、大正から昭和前期にかけてのアララギの中心人物。精神科医としては青山脳病院の院長を務めた。長男は精神科医で随筆家の「モタさん」こと斎藤茂太、次男は精神科医・随筆家・小説家の「どくとるマンボウ」こと北杜夫で、随筆家の斎藤由香はこの北杜夫の娘にあたる。

高松秀明さんの残した言葉【歌人】1924年3月16日~2019年4月14日

「旅立ちて、今 わが果てしなき短歌」 日本の歌人。