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ボブ・ディランさんの残した言葉【歌手で初のノーベル文学賞】1941年5月24日~

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「You can’t be wise and in love at the same time.」 (恋をしながら賢くなんてなれやしない。) 「All I really want to do is, baby, be friends with you.」 (僕が本当にしたいことは、君と友達になることなんだ。) 「I ain’t looking for you to feel like me, see like me, or be like me.」 (君が僕と同じように感じたり、理解したり、君が僕のようになるなんて望んではいない。) 「You don’t need a weatherman to know which way the wind blows.」 (風向きを知るのに天気予報官はいらない。) 「He not busy being born is busy dying.」 (日々生まれ変わるのに忙しくない人は、日々死ぬのに忙しい。) 「Behind every beautiful thing there’s been some kind of pain.」 (すべての美しいものの陰には、何らかの痛みがある。) 「The future to me is already a thing of the past.」 (僕にとって未来とは、既に過去のことなんだ。) 「All the truth in the world adds up to one big lie.」 (世の中のあらゆる真実が積み重なってひとつの大きなウソになる。) 「Colleges are like old-age homes, except for the fact that more people die in colleges.」 (大学なんて老人ホームみたいなもんだ。ただ、大学で死んでしまう人のほうが多いけどね。) 「No one is free, even the birds are chained to the sky.」 (自由なものなど何もない。鳥さえも空につながれている。) 「Miles Davis has been booed. Hank Williams was booed. Stravinsky wa

マリ・キュリーさんの残した言葉【キュリー夫人】1867年11月7日~1934年7月4日

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「それ(ラジウム)はあそこにあるのに。私には見えたのだから。」 「わたしは、化学の美しさを認める者の一人です。」 「私は科学には偉大な美が存在すると思っている人間の一人です。研究室にいる科学者というのは、ただの技術者ではありません。それはおとぎ話に感動する子供のように、自然現象を前にそこにたたずむ一人の子供でもあるのです。」 「私達一人一人が改善していかなければ、素晴らしい社会の建設など不可能なのです。おのおのが人生を切り開きながらも、同時に社会の役に立っていなければなりません。人々の力になること、これは人類の共通の義務なのです。」 「人事に携わる者の代わりは幾らもいますが、真理に携わる者の代わりは多くはいません。」 「(なぜ、特許を取らなかったのですか、の問いに対し)そんなこと出来ますか、科学の精神に反します。」 「この発明は、病気の治療に使えるものですよ。病人の足元に付け込むなんて、私には出来ません。」 「すべての人には幸せに生きる使命があります。だから、すべての人を幸せにする義務があります。」 「人々の力になること、これは人類の共通の義務なのです。」 「人生の中で恐れるものなど1つもありません。すべては理解されるものです。そして私達の恐れがより小さくなるように、今、さらに理解を深めるときなのです。」 「私を取り巻くものの中に活気あふれるものがあるとすれば、それは永遠に不滅な冒険精神です。」 「自分の仕事の結果を最大限に利用して、全体の人びとの幸福を忘れずに自分自身の利益をも保持すると言うような実際的な人間が、人類にとって必要なのはいうまでもない。しかし、また利害を超越して、ひとつの計画を展開することは、きわめて魅力的であるために、自分の物質的な利益に意をもちいてはいられないような夢想家も、人類にとっては必要である。」 「ただ一つの関心、ただ一つの夢の中に、私は生きました。」 「科学者の実験室の生活は、万物に対する闘争です。」 「偉大な発見は、いきなり完全な姿で科学者の頭脳から現れるわけではない。膨大な研究の積み重ねから生まれる果実なのだ。」 「願うように、進歩することなど、ありません。」 「個人の改善なくして、社会の改革はありません。」 「希望とは、我々

マリ・キュリーさんの残した最後の言葉【キュリー夫人】1867年11月7日~1934年7月4日

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「これはラジウムで作ったのですか。」 (病床でのうわごと) 「いやです、構わないでください」 (注射にきた医師へ、最後の言葉) 現在のポーランド出身の物理学者・化学者である。フランス語名はマリ・キュリー。キュリー夫人 として有名である。 1867年11月7日、ワルシャワ生まれ。放射線の研究で、1903年のノーベル物理学賞、1911年のノーベル化学賞を受賞し、パリ大学初の女性教授職に就任した。

ジョージ・バーナード・ショーさんの残した最後の言葉【ノーベル文学賞】1856年7月26日~1950年11月2日

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「お前さんは私の命をまるで、古い骨董品のようにもたせようとしているが、私はもうだめだ。おしまいだよ。私は死ぬんだ」 (看護師への最後の言葉) アイルランドの文学者、脚本家、劇作家、評論家、政治家、教育家、ジャーナリスト。 ヴィクトリア朝時代から近代にかけて、イギリスやアメリカ合衆国など英語圏の国々で多様な功績を残した才人として知られている。 バーナード・ショーの功績の中でも、特に文学者と教育家としての活躍が有名である。イギリス近代演劇の確立者として精力的に作品を書き続け、94歳で没するまでに53本もの戯曲を残し、「他に類を見ない風刺に満ち、理想性と人間性を描いた作品を送り出した」として1925年にノーベル文学賞を受賞した。

パール・バックさんの残した言葉【ノーベル賞作家】1892年6月26日~1973年3月6日

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「All things are possible until they are proved impossible – and even the impossible may only be so, as of now.」 (どんなことも、不可能と証明されるまでは可能である。そして不可能なことでさえ、今だけのことかもしれない。) 「Ah well, perhaps one has to be very old before one learns how to be amused rather than shocked.」 (人間は年をとってはじめて、衝撃的なことでも愉しめる余裕をもてるのではないでしょうか。) 「Love dies only when growth stops.」 (愛が死ぬのは、愛の成長が止まる、その瞬間である。) 「I don’t wait for moods. You accomplish nothing if you do that. Your mind must know it has got to get down to work.」 (私は気持ちが乗ってくるのを待ったりはしない。そんなことをしていては、あなたは何も成し遂げられない。とにかく仕事に取りかかるということを知らなければならない。) 「Inside myself is a place where I live all alone and that is where I renew my springs that never dry up.」 (自分の中に、決して涸れることのない泉がある。) 「Some are kissing mothers and some are scolding mothers, but it is love just the same, and most mothers kiss and scold together.」 (子どもにキスをする母親もいれば、口やかましい母親もいる。しかし、これらは同じ愛情から出たもので、ほとんどの母親はキスもすれば口やかましくもする。) 「To find joy in work is to discover the fountain of youth.」 (仕事に喜びを見出すことは、若さの泉を発見することである

ジョージ・バーナード・ショーさんの残した言葉【ノーベル文学賞】1856年7月26日~1950年11月2日

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「A life spent making mistakes is not only more honorable, but more useful than a life spent doing nothing.」 (間違いを犯してばかりの人生は、何もしなかった人生よりも、あっぱれであるだけでなく、役に立つ。) 「Patriotism is your conviction that this country is superior to all other countries because you were born in it.」 (愛国心とは、自分が生まれたという理由で、その国が他よりも優れているという思い込みのことである。) 「The more things a man is ashamed of, the more respectable he is.」 (より多くのことを恥じているほど、より敬意に値する。) 「Better keep yourself clean and bright; you are the window through which you must see the world.」 (いつも自分をきれいに明るく磨いておくように。あなたは自分という窓を通して世界を見るのだから。) 「You are going to let the fear of poverty govern your life and your reward will be that you will eat, but you will not live.」 (貧乏に対する恐怖に人生を支配させてしまえば、その報酬として食べていくことができるだろう。しかし生きることはできなくなる。) 「If you have an apple and I have an apple and we exchange apples then you and I will still each have one apple. But if you have an idea and I have an idea and we exchange these ideas, then each of us will have two ideas.」 (もし君と僕がりんごを交換したら、持ってい

ロマン・ロランさんの残した言葉【ノーベル文学賞】1866年1月29日~1944年12月30日

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「決して誤ることのないのは、何事もなさない者ばかりである。」 「人間の感情の四分の三は、子供っぽいものだ。残りの四分の一はもっと子供っぽい。」 「愛は信頼の行為である。神が存在するかしないかはどうでもよい。信ずるから信ずるのである。愛するから愛するのである。たいした理由はない。」 「真の偉大さは喜びの中でも苦難の中でも楽しむ力があることで見分けがつく。」 「他人の後ろから行くものは、決して前進しているのではない。」 「恋は決闘です。もし右を見たり左を見たりしていたら敗北です。」 「いつまでも続く不幸というものはない。じっと我慢するか、勇気を出して追い払うかのいずれかである。」 「A hero is a man who does what he can.」 (英雄とは、自分のできることをする人だ。) 「It is the artist’s business to create sunshine when the sun fails.」 (太陽がないときには、それを創造することが芸術家の役割である。) 「少しのきまじめさは恋愛においては結構だ。しかしあまり真面目すぎては困る。それは重荷であり、快楽でなくなる。」 「他人の上に太陽の光を注がんためには、自分のうちにそれをもっていなければいけない。」 「人生は往復切符を発行していません。ひとたび出発したら、再び帰ってきません。」 「人生で一番大切なことは、己の義務を果たすことである。」 「悪徳は、習慣が始まるところに始まる。習慣はサビである。それは魂の鋼鉄を蝕む。」 「私は世界に二つの宝を持っていた。私の友と私の魂と。」 「まさしく音楽こそ、精神の生活を感覚の生活へと媒介してくれるものです。」 「思想もしくは力によって勝った人々を私は英雄とは呼ばない。私が英雄と呼ぶのは心に拠って偉大であった人々だけである。」 「人は望むとおりのことができるものではない。望む、また生きる、それは別々だ。くよくよするもんじゃない。肝腎なことは、ねえ、望んだり生きたりするのに飽きないことだ。」 「人生の賭けで得をしようと損をしようと、賭けるべき肉が一ポンドでも残っていれば私はそれを賭けるでしょう。」 「自然の中には、僕の愛に値しないものは何もない。一人の人間も、一本の木も。」 「今日の新聞・雑誌は嘘の巣窟だ

フランソワ・モーリアックさんの残した言葉【作家】1885年10月11日~1970年9月1日

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「Human love is often but the encounter of two weaknesses.」 (人間の恋というのは、しばしば二人の人間の弱点が、出くわしたに過ぎないといった場合がある。) 「女というものは存在しない。存在するのはさまざまの女たちである。」 「男にとっては今日一日だけの浮気心にすぎないものに、女はその一生を賭ける。」 「人間は自分の恋していた時のことを思い出すと、そのあいだには何一つ起こらなかったような気がするものだ。」 「私たちの人生は、私たちが費やした努力だけの価値がある。」 「失われた青春について、われわれはもはや、昔日の俤のない園の枯れ木の中に最後の雷鳴のとどろきを聞くのみ。」 「(イエス)は歴史がわれわれに提供するすべての人格で、いちばん生々としているがゆえに、いちばん論理的でない性格である。」 「パリは人間のいっぱい住んでいる孤独である。田舎の都会は孤独のない砂漠である。」 「君が幸福である限り、君は多くの友達を数えることができよう。だが、形勢が悪化した時には、君は独りぼっちになるだろう。」 「情欲は勝利者のない戦闘である。」 「多くの女性は、教養があるというよりも、教養によって汚されている場合の方が多い。」 「死ぬまでにひとつの心の中だけでも深く入ることができたなら、それで幸福としなければなるまい。」 「旅行は常になにかの口実になっている。」 「だれかを愛するということは、他人には見えない奇跡を、ただひとり見ることである。」 フランスのカトリック作家。息子にクロード・モーリアック、外孫にアンヌ・ヴィアゼムスキーがいる。 1926年にアカデミー・フランセーズ賞を受賞し、1952年にはノーベル文学賞を受賞した。なおアカデミー・フランセーズ賞受賞者としては初のノーベル文学賞受賞者であった。

アーネスト・ヘミングウェイさんの残した言葉【老人と海】1899年7月21日~1961年7月2日

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「You can’t get away from yourself by moving from one place to another.」 (あちこち旅をしてまわっても、自分から逃げることはできない。) 「The world is a fine place and worth the fighting for.」 (この世は素晴らしい。戦う価値がある。) 「Now is no time to think of what you do not have. Think of what you can do with that there is.」 (今はないものについて考えるときではない。今あるもので、何ができるかを考えるときである。) 「Every day is a new day.」 (とにかく、毎日が新しい日なんだ。) 「As you get older, it is harder to have heroes, but it is sort of necessary.」 (年を重ねると、ヒーローを見つけるのがより難しくなるんです。でも、本当は、年を重ねた時こそ、必要みたいです。) 「In order to write about life, first you must live it!」 (人生について書きたいなら、まず生きなくてはならない。) 「What is moral is what you feel good after and what is immoral is what you feel bad after.」 (善とは何か。後味の良いことだ。悪とは何か。後味の悪いことだ。) 「The writer’s job is not to judge, but to seek to understand.」 (作家の仕事とは、判断を下すことではなく理解しようとすること。) 「My aim is to put down on paper what I see and what I feel in the best and simplest way.」 (私のねらいは、見たことや感じたことをもっともうまく単純に書くことだ。) 「I like to listen

アレクサンダー・フレミングさんの残した言葉【ペニシリンの発見者】1881年8月6日~1955年3月11日

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「寝る前の暖かいウイスキーの一杯、科学的とは言えないがこいつは効く。」 「偶然は、それを受け入れる準備のある精神を好んで手助けする。」 「私は、人体が自然に備えている抵抗力の大切なことを、決して忘れることはできません。」 イギリスの細菌学者である。抗菌物質リゾチームと、アオカビから見出した世界初の抗生物質、ペニシリンの発見者として知られている。 クライズデール銀行が発行する5ポンド紙幣に肖像が使用されている。

ネルソン・マンデラさんの残した言葉【反アパルトヘイト運動】1918年7月18日~2013年12月5日

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「Appearances matter — and remember to smile.」 (外見は大切 – 笑顔を忘れぬよう。) 「after climbing a great hill, one only finds that there are many more hills to climb.」 (大きな山に登ってみると、人はただ、さらに登るべきたくさんの山があることを見出す。) 「Part of being optimistic is keeping one’s head pointed toward the sun, one’s feet moving forward.」 (楽観的であるということは、顔を常に太陽へ向け、足を常に前へ踏み出すことである。) 「The greatest glory in living lies not in never falling, but in rising every time we fall.」 (生きるうえで最も偉大な栄光は、決して転ばないことにあるのではない。転ぶたびに起き上がり続けることにある。) 「The brave man is not he who does not feel afraid, but he who conquers that fear.」 (勇者とは怖れを知らない人間ではなく、怖れを克服する人間のことなのだ。) 「It always seems impossible until it’s done.」 (達成するまでそれは不可能に見える。) 南アフリカ共和国の政治家、弁護士である。 南アフリカ共産党中央委員、アフリカ民族会議議長、下院議員、大統領を歴任。若くして反アパルトヘイト運動に身を投じ、1964年に国家反逆罪で終身刑の判決を受ける。27年間に及ぶ獄中生活の後、1990年に釈放される。翌1991年にアフリカ民族会議の議長に就任。デクラークと共にアパルトヘイト撤廃に尽力し、1993年にノーベル平和賞を受賞。1994年、南アフリカ初の全人種が参加した普通選挙を経て大統領に就任。民族和解・協調政策を進め、経済政策として復興開発計画を実施した。1999年に行われた総選挙を機に政治家を引退した。 賞歴としてネルー賞、ユネス

ドリス・レッシングさんの残した言葉【史上最高齢での文学賞受賞】1919年10月22日~2013年11月17日

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「ありのままの自分をとりもどしたい。ただそれだけ。」 「賢明な人は、嫉妬の感情を自らに許さない。」 イギリス人作家。2007年にノーベル文学賞を受賞した。 1954年、短編「Five」でサマセット・モーム賞受賞。1981年オーストリア国家賞受賞。1984年ドイツ連邦共和国シェイクスピア賞受賞。1985年に『善良なテロリスト』でブッカー賞にノミネートされ、W・H・スミス文学賞、モンデッロ賞受賞を受賞した。1989年に『The Fifth Child』でグリンザネ・カヴール賞受賞。 長年ノーベル文学賞の候補となっていたが、2007年に受賞し、ノーベル文学賞では歴代最高齢の受賞者となった。受賞理由は、「女性の経験を描く叙事詩人であり、懐疑と激情、予見力をもって、対立する文明を吟味した」(that epicist of the female experience, who with scepticism, fire and visionary power has subjected a divided civilisation to scrutiny.)。授賞式は腰痛で欠席したが、代読された受賞スピーチのタイトルは「ノーベル賞を取れないことについて(On not winning the Nobel Prize)」で、ジンバブエで学校で本が手に入らない現実と、本の重要性を語っている。

下村脩さんの残した言葉【緑色蛍光たんぱく質】1928年8月27日~2018年10月19日

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「受賞は天の導き。」 「私は普通以下の子供でした。どちらかと言えば記憶力は悪かった。身体も弱かった。」 「結果が出ないのは努力が足りないからです。」 「わたしは神を信じないが、天の導きだと思った。ノーベル賞も同じだ。」 「これまで賞とか名誉に関心を持たなかったし、受賞の連絡を受けてからは対応に追われて忙しい。」 「わたしがやったことは(受賞理由となった)緑色蛍光たんぱく質(GFP)を発見したことだけ。(共同受賞者の)チャルフィーがそれが役に立つものだということを見つけ、チェンが改良した。だから医学・生理学賞の対象だと思った。」 「決まり文句みたいに『コングラチュレーション』と言われた後、『もうすぐマスコミが殺到して大変なことになりますよ』と言われた。その後は電話が鳴りっぱなし。その通りになった。」 「どんな難しいことでも、努力すればなんとかなる。」 「研究者として、私は実験がうまいとも言われる。『神の手を持つ』などと神格化するようなことを言われたこともある。実際のところは、私は不器用で、実験は上手ではない。よく失敗する。ただ、簡単にはあきらめない。」 「思わぬ偶然を引き寄せることができたのは、少しの失敗は気にせず、諦めずに努力したためである。試練には何度となく直面したが、私は逃げることは考えなかった。逃げることができなかったといってもいい。」 「ノーベル化学賞の成果となった、緑色蛍光たんぱく質(GFP)の発見までには、同じオワンクラゲからとれた発光たんぱく質のイクオリンや、それ以前に日本で取り組んだウミホタルのルシフェリンの研究が役立った。これらが成功裏に進んだのは、様々な幸運もあったし、巡り合わせが作用した。」 「研究に専念するためには研究費用だけでは足りません。サラリーや大学の諸費用などですべてを賄(まかな)わなければならない。つまり私は自由と引き換えに厳しい「研究」という道を選んだのです。」 「子どもたちにはどんどん興味を持ったことをやらせてあげて。やり始めたら、やめたらダメですよ。」 生物学者。学位は理学博士。ボストン大学名誉教授、ウッズホール海洋生物学研究所特別上席研究員、名古屋大学特別教授。 有機化学・海洋生物学を専門とする生物学者、中でも生物発光研究の先駆者であり第一人者。旧制長崎医科大学、名古屋大学、プリンストン大学、ボ

レオン・レーダーマンさんの残した言葉【神の粒子】1922年7月15日~2018年10月3日

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「The physicists defer only to mathematicians, and the mathematicians defer only to God.」 (物理学者は数学者だけに従い、数学者は神のみに従う。) アメリカ合衆国の実験物理学者。2代目の所長としてフェルミ研究所を1978年から1988年まで率いた。1988年ニュートリノビーム法、およびミューニュートリノの発見によるレプトンの二重構造の実証によりノーベル物理学賞を受賞した。 ニューヨーク州バッファローに生まれた。1943年ニューヨーク市立大学シティカレッジ卒業。1951年コロンビア大学で博士号を取得、1989年の定年退職までコロンビア大学で教鞭を執った。その間、Eugene Higgins Professorに就任し、フェルミ国立加速器研究所の所長も兼務した。1962年にブルックヘブンの陽子加速器を使って、ニュートリノの反応を調べ電子ニュートリノとμニュートリノが別のものであることを証明した。1977年ボトムクォークと反ボトムクォークの対である「ウプシロン中間子」を発見した。1978年から1988年までフェルミ国立加速器研究所の所長を務めた。コロンビア大学退職後も、シカゴ大学、イリノイ工科大学で教えた。

湯川秀樹さんの残した最後の言葉【日本人初のノーベル賞】1907年1月23日~1981年9月8日

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「人間の死、あるいは死後の問題、生まれる前というような問題は、これは僕は答えられない問題だと思うんですよ。なぜかと申しますと、人間というものは、自分が気が付いたら自分や。死にますね、死んでから気がついたら、また別の人間になっているかもしれない。…荘子の非常に理知主義的な一つの悟り方は、何かわからないのだから、生は生でよろしいと思うなら、人間に生まれてきてよかったと思うなら、こんど何になってもいいではないか、それは造化におまかせしますと、それでいいではないか…」 (最後の言葉) 日本の理論物理学者。 京都府京都市出身。 原子核内部において、陽子や中性子を互いに結合させる強い相互作用の媒介となる中間子の存在を1935年に理論的に予言した。

湯川秀樹さんの残した言葉【日本人初のノーベル賞】1907年1月23日~1981年9月8日

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「今日の真理が、明日否定されるかも知れない。それだからこそ、私どもは、明日進むべき道を探しだす。」 「現実のほかにどこに真実があるか、と問うことなかれ。真実はやがて現実となるのである。」 「科学は絶えず進歩している。常に明日の飛躍が約束されている。」 「現実はその根底において、常に簡単な法則に従って動いているのである。達人のみがそれを洞察する。現実はその根底において、常に調和している。詩人のみがこれを発見する。」 「真実は、いつも少数派。」 「自然は曲線を創り、人間は直線を創る。」 「アイデアの秘訣は、執念である。」 「取り返しのつかない。大きな失敗をしたくないなら、早い段階での失敗を恐れてはならない。」 「現実は、痛切である。あらゆる甘さが排除される。現実は予想できぬように豹変する。あらゆる平衡は早晩打破される。現実は複雑である。あらゆる早合点は禁物である。」 「一日、生きることは、一歩、進むことでありたい。」 日本の理論物理学者。 京都府京都市出身。 原子核内部において、陽子や中性子を互いに結合させる強い相互作用の媒介となる中間子の存在を1935年に理論的に予言した。

マザー・テレサさんの残した最後の言葉【聖人】1910年8月26日~1997年9月5日

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「ジーザス(イエスよ)」 (最後の言葉) カトリック教会の修道女にして修道会「神の愛の宣教者会」の創立者。 またカトリック教会の聖人である。 「マザー」は指導的な修道女への敬称であり、「テレサ」は彼女の敬愛したリジューのテレーズにちなんだ修道名である。

マザー・テレサさんの残した言葉【聖人】1910年8月26日~1997年9月5日

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「Spread love everywhere you go: first of all in your own house. Give love to your children, to your wife or husband, to a next door neighbor. Let no one ever come to you without leaving better and happier. Be the living expression of God’s kindness; kindness in your face, kindness in your eyes, kindness in your smile, kindness in your warm greeting.」 (あなたの行くところで、愛を広めなさい。最初はあなたの家族で。子どもたちに愛を与えなさい。妻や夫に愛を与えなさい。隣の人に愛を与えなさい。誰かが訪れてきたら、来たときよりも幸せにして帰しなさい。あなたは神の優しさの表現者になりなさい。あなたの顔に優しさを、あなたの目に優しさを、あなたの微笑みに優しさを、あなたの暖かい挨拶の中に優しさを表しなさい。) 「この世でもっとも不幸なことは、自分なんてこの世にうまれてくる必要がなかった、自分なんて誰からも愛されていないと思うことです。」 「People are often unreasonable and self-centered. Forgive them anyway. If you are kind, people may accuse you of ulterior motives. Be kind anyway. If you are successful, you will win some unfaithful friends and some genuine enemies. Succeed anyway. If you are honest, people may cheat you. Be honest anyway. What you spend years creating, others could destroy overnight. Create anyway.

コフィー・アナンさんの残した言葉【国連事務総長】1938年4月8日~2018年8月18日

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「寛容とは、人間の多様性に積極的かつ前向きに関わること。」 「現在の本当の格差は、国と国の間に存在するのではなく、強者と弱者、自由な者と自由を奪われた者、特権を持つ者と持たざる者との間に存在します。今や、世界の一部地域で起こっている人道上あるいは人権の危機を別の地域における国家安全の危機から切り離して考えることはできません。」 第7代国際連合事務総長。ガーナ共和国アシャンティ州クマシ出身。称号は聖マイケル・聖ジョージ勲章。英語、フランス語、クル語 、アカン語 、他のアフリカ諸言語を話す。国連事務総長在任中の2001年にノーベル平和賞を受賞した。

キャリー・マリスさんの残した言葉【生化学者】1944年12月28日 ~2019年8月7日

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「いい波が割れている朝、ビーチに行くと、この世界も捨てたもんじゃないなって思うことがあるんだ。」 アメリカ合衆国の生化学者。ポリメラーゼ連鎖反応法の開発で知られ、その功績により、1993年にノーベル化学賞及び日本国際賞を受賞した。 ノースカロライナ州レノアで生まれ、サウスカロライナ州コロンビアに移り住み、そこで成長した。ドレハー高校を経てジョージア工科大学卒。1973年にカリフォルニア大学バークレー校から博士号を与えられた。カリフォルニア州に移り、ニューポートビーチ、その後アンダーソンバレーに住んだ。バイオテクノロジーの企業シータス社に就職。そこでPCR法によるDNAの増幅方法を考案した。後に好熱菌のDNAポリメラーゼであるTaqポリメラーゼを用いる改良法が開発され、世界の分子生物学の進展に大きな影響を与えた。 サーフィンが好きで、ノーベル賞受賞が決まった際にも海辺でサーフィンに興じていたことから「サーファーにノーベル賞」と大きく報じられた。かつてLSDやマリファナを使用していたことを公言するなど、奇行も多い人物である。ノーベル賞を確実視されていたがその言動によって審査員らから危険人物扱いされて受賞を見送られたのでは思い込んでノーベル賞には縁が無いと思い込んでいた。ノーベル財団から受賞の連絡を受けた際には「もらう!もらうよ!」と大喜びする。