ネルソン・マンデラさんの残した言葉【反アパルトヘイト運動】1918年7月18日~2013年12月5日
「Appearances matter — and remember to smile.」
(外見は大切 – 笑顔を忘れぬよう。)
「after climbing a great hill, one only finds that there are many more hills to climb.」
(大きな山に登ってみると、人はただ、さらに登るべきたくさんの山があることを見出す。)
「Part of being optimistic is keeping one’s head pointed toward the sun, one’s feet moving forward.」
(楽観的であるということは、顔を常に太陽へ向け、足を常に前へ踏み出すことである。)
「The greatest glory in living lies not in never falling, but in rising every time we fall.」
(生きるうえで最も偉大な栄光は、決して転ばないことにあるのではない。転ぶたびに起き上がり続けることにある。)
「The brave man is not he who does not feel afraid, but he who conquers that fear.」
(勇者とは怖れを知らない人間ではなく、怖れを克服する人間のことなのだ。)
「It always seems impossible until it’s done.」
(達成するまでそれは不可能に見える。)
南アフリカ共和国の政治家、弁護士である。
南アフリカ共産党中央委員、アフリカ民族会議議長、下院議員、大統領を歴任。若くして反アパルトヘイト運動に身を投じ、1964年に国家反逆罪で終身刑の判決を受ける。27年間に及ぶ獄中生活の後、1990年に釈放される。翌1991年にアフリカ民族会議の議長に就任。デクラークと共にアパルトヘイト撤廃に尽力し、1993年にノーベル平和賞を受賞。1994年、南アフリカ初の全人種が参加した普通選挙を経て大統領に就任。民族和解・協調政策を進め、経済政策として復興開発計画を実施した。1999年に行われた総選挙を機に政治家を引退した。
賞歴としてネルー賞、ユネスコ平和賞、アフリカ賞、サハロフ賞、レーニン平和賞、ノーベル平和賞、国際検察官協会名誉章受章など。称号には名誉法学博士(早稲田大学)など。南アフリカ共和国での愛称はマディバ、タタ(父)。マディバとは彼の先祖が誰かを象徴する氏族名であり、部族社会の影響が残る南アフリカでは単なる愛称ではなく、尊称に近いものである。ミドルネームのホリシャシャはコーサ語で「トラブルメーカー」の意味。
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