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蒲池猛夫さんの残した言葉【射撃金メダリスト】1936年3月20日~2014年12月4日

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「天から授かったメダルだと思っています。22年間射撃を続け、ようやくかなえられたと満足しています。」 日本の射撃競技選手。日本ライフル射撃協会コーチを務めた。1984年ロサンゼルスオリンピック男子ラピッドファイアピストル金メダリスト。 高原町立高原中学校卒業後、自衛隊に入隊。1962年、東京オリンピックに備えて開設された自衛隊体育学校に入校。 稀に見る才能の持ち主として知られメキシコシティーオリンピックでは金メダル確実と期待された、練習ではカマチの動向を探ろうとライバルの外国人選手が大挙して押しかけ見守る中600点満点中599点をマークその意気を沮喪させたが本番では全くの不調で12位に終わった。 雪辱を期したミュンヘンオリンピックも普段の調子はでなかったがそれでもメダル圏内で最終4秒射まできた。ここで満点なら銅メダルだったが最後の5発目が痛恨の遅射で無得点順位を下げた。モントリオールオリンピックでは12位。日本が不参加となったモスクワオリンピックで4度目の代表となった後、いったん引退。しかしその才能を惜しむ外国人選手コーチに復帰を促され現役復帰、ロサンゼルス大会の代表となった。 ロサンゼルス大会では、射撃競技で上位を独占してきた東欧勢が不参加となったことや、周囲からの注目度も以前ほどではなく気楽にやれたのがよかったのか出場4回目にして金メダルに輝いた。このとき蒲池は48歳で、2016年現在も日本の最年長金メダリストの記録となっている。また戦前生まれ最後のオリンピックメダリストとなっている。自衛隊体育学校教官を経て、1989年に定年退官。 蒲池はロサンゼルス大会で日本選手団最初の金メダリストであった。期待された選手が不振で金メダルを逃す中、まったくノーマークですでに孫もいる中年の蒲池が初の金メダルを獲得したことは多くの国民の関心を呼んだ。また、蒲池姓から歌手の松田聖子(蒲池法子)と親戚では?という話題にもなった。