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新渡戸稲造さんの残した言葉【武士道】1862年9月1日~1933年10月15日

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「ものごとには明暗の両方面がある。私は光明の方面から見たい。そうすれば、自ずから愉快な念が湧いてくる。」 「大学に入って何の職業に就いて、何ほどの月給をもらうかなどということは、そもそも末のことで、もっと大きなところへ到達しなければならない。」 「もっとも勇気ある者はもっとも心優しい者であり、愛ある者は勇敢である。」 「いわゆる十分に力を出す者に限って、おのれに十二分の力があり、十二分の力を出した者が、おのれに十五分の力があることがわかってくる。」 「この世には完全無欠の物もなければ、全然無用の品もない。」 「信実と誠実となくしては、礼儀は茶番であり芝居である。」 「大学の教育となってくると単純なる良民ということだけでなく、良民のリーダーを造るのである。」 「武士道精神は損得勘定をとらない。むしろ足らざることを誇りにする。!」 「名誉は『境遇から生じるもの』ではなくて、それぞれが自己の役割をまっとうに務めることにあるのだ、ということに気づいているのは、ごくわずかの高徳の人びとだけである。」 「とにかく物事には明暗の両方面がある。私は光明の方面から見たい。そうすれば、おのずから愉快な念が湧いてくる。」 「武士道は知識を重んじるものではない。重んずるものは行動である。」 「教育の多くは、あるきまり文句を教えられたとおりに機械的にくりかえすことであって、その意味については、若い魂は何一つ解っていないのである。」 「勇気が人の精神に宿っている姿は、沈着、すなわち心の落ち着きとしてあらわれる。」 「バックボーンたる精神を捨てれば、それに代わるものとして登場するのは、目に見える物質主義となるのは必然である。」 「人間は国家より大きい。人間は自分の内に、この世の国や、国家の一切の主張を超越するものを待っている。人間の無限の魂を、国家の限られた枠組の中に閉じ込めることはできない。」 「人間は、それぞれ考え方や、ものの見方が違うのが当然である。その違いを認め合い、受け入れられる広い心を持つことが大切である。」 「近代的な教育制度といっても臆病者を英雄にすることはできない。」 「昔は士というと、一種の階級であった。今はそうではない。社会的の階級でなく、頭の階級である。相当な教育を