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海老一染之助さんの残した言葉【太神楽師】1934年10月1日~2017年12月6日

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「親父が終戦を迎えると『これからは、西洋から歌手や音楽の大家がやってくる。とても敵わないから、日本独特の芸をやらなくては駄目だ』と言って、私たちにお神楽を習わせたんです。」 「この三味線はお袋が使っていたもので、これしか残っていないんです。三味線としての価値はごく普通の三味線ですが、弾くたびにお袋の供養をしているような気持ちになってきます。」 「日本国中、世界の皆さまのお幸せを心から祈念して、まいります。『おめでとうございまーす!』」 (染太郎逝去の際、染之助は葬儀会場に居並ぶ報道陣の前で号泣しながら絶叫。) 弟。東京都新宿区出身。メインの曲芸担当。 テレビ東京の村井正信キャスターは息子。晩年は糖尿病を患い、それをテーマにしたコラムを書いていた。 日本舞踊では花柳錦蔵を名乗る。 染之助は滅多に怒らない人物で「ヨイショの染さん」と呼ばれていたが、後輩芸人が兄:染太郎に対し無礼な態度をとったときは、本気で激怒した。しかし、言った本人は冗談のつもりであったため、怒られた時はおろおろしていた。