田中久重さんの残した言葉【東洋のエジソン】1799年10月16日~1881年11月7日
「国家に有用なる機械をせいぞうして奉公の誠を尽くし、世の公益を広めん。」 「そう言うべからず。これも国のためであり、人助けにもなることたい」 「余は、今有用なる機械を製造して、世の公益を広めんことを願う他に一点の利欲なし。」 「知識は失敗より学ぶ。事を成就するには、志があり、忍耐があり、勇気があり、失敗があり、その後に、成就があるのである。」 江戸時代後期から明治にかけての発明家。「東洋のエジソン」「からくり儀右衛門」と呼ばれた。芝浦製作所の創業者。 天保5年(1834年)には上方へ上り、大坂船場の伏見町(大阪市中央区伏見町)に居を構えた。同年に折りたたみ式の「懐中燭台」、天保8年(1837年)に圧縮空気により灯油を補給する灯明の「無尽灯」などを考案した。その後京都へ移り、弘化4年(1847年)に天文学を学ぶために土御門家に入門。嘉永2年(1849年)には、優れた職人に与えられる「近江大掾」の称号を得た。翌嘉永3年(1850年)には、天動説を具現化した須弥山儀を完成させた。この頃に蘭学者の廣瀨元恭が営む「時習堂」に入門し、様々な西洋の技術を学ぶ。嘉永4年(1851年)には、季節によって昼夜の時刻の長さの違う不定時法に対応して文字盤の間隔が全自動で動くなどの、様々な仕掛けを施した「万年自鳴鐘」を完成させた。