投稿

ラベル(本田美奈子)が付いた投稿を表示しています

本田美奈子さんの残した言葉【歌手】1967年7月31日~2005年11月6日

イメージ
「生きるために生きる。」 「白血病と闘うすべての人に、生きる勇気と希望を届けたい。」 7/31 お母さん 私を産んでくれた日です。 生きている喜びを感じながら”ありがとう”を言える事を幸せに思います。 お母さん ありがとう。 美奈子より 日本の歌手、女優、声楽家。80年代アイドル。本名、工藤 美奈子。 身長:162 cm、体重:43 kg、B:74 cm、W:56 cm、H:76 cm。血液型はO型。1985年、シングル「殺意のバカンス」で歌手としてデビュー。 デビュー初期はアイドル歌手として活動したが、本人はアイドルと呼ばれるのを嫌っていた。デビュー曲も本人の強い希望でアイドル色の強い「好きと言いなさい」から大人びた歌謡曲の「殺意のバカンス」に変更された。日頃から「アーティストでありたい」と口にするなど、しばしば事務所やレコード会社の描くイメージ戦略通りの姿を演じることを要求されるアイドル歌手の枠には収まり切らない言動が当初から目立っていた。若い時から自己の信念を確立していた人であったことが窺われる。 その一方で「やっほー」があいさつ代わりの天衣無縫な振る舞いでも知られていた。しかし出演した映画『パッセンジャー 過ぎ去りし日々』の音楽監督、渋谷森久との出会いをきっかけに落ち着いて人と接するようになっていった。以前の自分自身については「わがままだった」と述懐している。また『ミス・サイゴン』への出演も歌手としてのキャリアだけでなく、人格の上において大きな転機となった。大勢の人が力を会わせて一つの作品を完成させるという過程を通じて人との共同作業に喜びを見出すようになっていったようである。生前親交のあった関係者は「決して人の悪口を言わない人だった」と口を揃える。 人との絆を大切にする人であったことは毎年正月にわざわざそのための休みをとって2000枚の年賀状を自ら書いていたことにも表れている。メッセージなどの末尾には必ず「心を込めて...」の言葉を添えていた。この言葉は没後に発売されたアルバム『心を込めて...』のタイトルに採用された。ファンを大切にし、いつも「一緒に青春しようね」と呼びかけていた。「青春」は彼女が大切にしていた言葉であり、公式ファンクラブの名称「Blue Spring Club」は「青春クラブ」を訳したものである...