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川田正子さんの残した言葉【童謡歌手】1934年7月12日~2006年1月22日

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「童謡は心のふるさと、子どもたちに伝えたい」 日本の童謡歌手。幼少期より日本で最も伝統のある児童合唱団音羽ゆりかご会に所属し、作曲家海沼實に師事して才能を開花すると童謡や唱歌を数多く歌唱。甥にあたる現音羽ゆりかご会会長の作曲家三代目海沼実らによって顕彰され、没後も童謡界のカリスマとして根強い人気を誇る。

常盤新平さんの残した言葉【作家】1931年3月1日~2013年1月22日

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「臆病になるな、他人の目や陰口にとらわれず、自分のやりたいことに忠実になろう。」 日本の作家、翻訳家であり、アメリカ文化研究者である。別名に、大原寿人。

中村雅哉さんの残した言葉【バンダイナムコエンターテインメント創業者】1925年12月24日~2017年1月22日

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「29歳で会社を起こしてから、いつもどやってお金を集めようかと考えていました。増資は何十回とやりました。出張に行くときに、実際は三等列車を利用しているのに二等列車に乗ったことにして、その差額を蓄積して増資の資金に充てるようなこともしました。そうやって資本金を30万円から50万円、200万円、300万円へと増やしていきました。」 「20年以上前ですが、一次産業、二次産業に比べて三次産業があまりに大きくなっていると感じました。それで三次産業は肉体を使うサービス、四次産業は知恵を使う『知識産業』、五次産業は心に訴える『情報産業都』分類し、三次より四次、四次より五次の方が付加価値が高いとみなしたのです。その方向に向かっていくことが企業の成長につながると思ってやってきました。」 「アタリ・ジャパンの買収も、業界の将来像が描けたから決断できたのです。そしてナムコはアミューズメント産業から、さらに付加価値の高いエンターテインメント産業に脱皮できたのです。」 「ベンチャー企業の支援が重要だと言われていますが、私はベンチャーを助けることにはあまり積極的ではないんです。というのも、自らの経験から、自分で苦しんでこそ企業は力をつけていくと考えるからです。」 「社会から大いに期待され資金援助を受けながら駄目になっていったベンチャーをたくさん見てきました。資金が潤沢だと、ついそれが自分の実力だと勘違いしてしまうのでしょう。苦労をするときには、苦労をさせなくては駄目なんです。私自身も、資金に恵まれていたら、世の中って甘いものだなと思ってしまったかもしれません。」 「自分はそんなに苦労をしたとは思っていません。会社が大きくなって、もっと社会的な責任を担っていくことができるようになるんだとの気持ちがあったからです。」 「体力のあるものでも賢いものでもなく、変化に対応できるものだけが生き残れる。」 日本の実業家。バンダイナムコエンターテインメント創業者。東京都出身。

アーシュラ・K・ル=グウィンさんの残した言葉【SF作家】1929年10月21日~2018年1月22日

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「行動が役立たなくなったら、情報を集めなさい。情報が役立たなくなったら、ひと休みしなさい。」 「ただ生きたい、と思うだけではなくて、その上に別の力、たとえば、限りない富とか絶対の安全とか、不死とかそういうものを求めるようになったら、その時、人間の願望は欲望に変わる。」 「旅路に果てがあるのはいい。しかし結局、大切なのは、旅そのものなのだ。」 アメリカの女性小説家でSF作家、ファンタジー作家。「ル・グィン」、「ル=グイン」とも表記される。

片平晋作さんの残した言葉【プロ野球選手】1949年8月5日~2018年1月22日

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「二流は、努力すれば一流に追いつけるかもしれない。でも、一流に努力されたら、もう追いつけないでしょう。」 大阪府大阪市港区出身のプロ野球選手・コーチ・監督、解説者。

故人が残した名言集【1月22日】

アーシュラ・K・ル=グウィンさんの残した言葉【SF作家】1929年10月21日~2018年1月22日 「行動が役立たなくなったら、情報を集めなさい。情報が役立たなくなったら、ひと休みしなさい。」 「ただ生きたい、と思うだけではなくて、その上に別の力、たとえば、限りない富とか絶対の安全とか、不死とかそういうものを求めるようになったら、その時、人間の願望は欲望に変わる。」 「旅路に果てがあるのはいい。しかし結局、大切なのは、旅そのものなのだ。」 アメリカの女性小説家でSF作家、ファンタジー作家。「ル・グィン」、「ル=グイン」とも表記される。 片平晋作さんの残した言葉【プロ野球選手】1949年8月5日~2018年1月22日 「二流は、努力すれば一流に追いつけるかもしれない。でも、一流に努力されたら、もう追いつけないでしょう。」 大阪府大阪市港区出身のプロ野球選手・コーチ・監督、解説者。 中村雅哉さんの残した言葉【バンダイナムコエンターテインメント創業者】1925年12月24日~2017年1月22日 「29歳で会社を起こしてから、いつもどやってお金を集めようかと考えていました。増資は何十回とやりました。出張に行くときに、実際は三等列車を利用しているのに二等列車に乗ったことにして、その差額を蓄積して増資の資金に充てるようなこともしました。そうやって資本金を30万円から50万円、200万円、300万円へと増やしていきました。」 「20年以上前ですが、一次産業、二次産業に比べて三次産業があまりに大きくなっていると感じました。それで三次産業は肉体を使うサービス、四次産業は知恵を使う『知識産業』、五次産業は心に訴える『情報産業都』分類し、三次より四次、四次より五次の方が付加価値が高いとみなしたのです。その方向に向かっていくことが企業の成長につながると思ってやってきました。」 「アタリ・ジャパンの買収も、業界の将来像が描けたから決断できたのです。そしてナムコはアミューズメント産業から、さらに付加価値の高いエンターテインメント産業に脱皮できたのです。」 「ベンチャー企業の支援が重要だと言われていますが、私はベンチャーを助けることにはあまり積極的ではないんです。というのも、自らの経験から、自分で苦しんでこそ企業は力をつけていくと考えるからです。」 「社会か