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野坂昭如さんの残した最後の言葉【火垂るの墓】1930年10月10日~2015年12月9日

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「戦後の日本は平和国家だというがたった一日で平和国家に生まれ変わったのだから、同じくたった一日でのその平和とやらを守るという名目で軍事国家つまり戦争をすることにだってなりかねない。」 (最後の言葉) 日本の作家、歌手、作詞家、タレント、政治家。 放送作家としての別名は阿木 由起夫、シャンソン歌手としての別名はクロード 野坂、落語家としての高座名は立川 天皇、漫才師としての野末陳平とのコンビ名はワセダ中退・落第。 文壇界きっての犬猫好き、酒好きである。酒に関しては、高校時代に酔っ払って真っ裸で深夜の街を歩いたり、また大学時代に酔っ払って教室の窓から入ったり、などの武勇伝を残している。その後、1952年に自主的に精神病院に入院して治療をしてからは、酒乱の癖はおさまったという。また、「趣味の雑誌『酒』昭和47年新年特別号」の付録「文壇酒徒番附」において、東方横綱に立原正秋と共に列せられている。ちなみに、東方大関三浦哲郎、池波正太郎、西方横綱梶山季之、黒岩重吾、大関吉行淳之介、瀬戸内晴美などがいる。

野坂昭如さんの残した言葉【火垂るの墓】1930年10月10日~2015年12月9日

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「小説はぼくの体験を下敷きにしてはいるが、自己弁護が強く、うしろめたさが残る。自分では読み返すことが出来ない。それでも戦争の悲惨さを少しでも伝えられればと思い、ぼくは書き続けてきた。」 「戦争は人間を無茶苦茶にしてしまう。人間を残酷にする。人間が狂う。だが人間は戦争をする。出刃包丁で殺そうが、核兵器で殺そうが同じことである。戦場で殺し合いをする兵士が、家では良き父であり、夫である。これがあたり前なのだ。」 「戦争は人間を人間でなくす。では獣になるのか。これは獣に失礼。獣は意味のない無駄な殺し合いをしない。人間だけが戦争をするのだ。」 「戦後に生まれ、今を生きる者にも責任はある。繁栄の世を築いたのは戦後がむしゃらに働いた先人たちである。その恩恵を享受した自分たちは後世に何をのこすのか。」 「どんな戦争も自衛のため、といって始まる。そして苦しむのは、世間一般の人々なのだ。騙されるな。このままでは70年間の犠牲者たちへ、顔向け出来ない。」 「空理の際、家族を見捨てたことである。……一度も後をふりかえらず、山の横穴式防空壕へ入っても、ただ自分の身の安全をはかり考え、両親の安否にいささかも思いはせなかったことを思うと、僕はうしろめたい気がする。」 「タイムマシンがあったら、今あるお菓子をみんなかかえて、恵子に食べさせてやりたい。六月五日の朝から八月二十二日の午後死ぬまで、ついにお腹をすかせっばなしで死んでしまった女の子なんて、あまりにかわいそう過ぎる。ぼくは恵子のことを考えると、どうにもならなくなってしまうのだ。」 「戦争をやったのは大人の責任であり、今度戦争をしたらそれは私たちの責任だ。」 「逃げすぎたことのやましさが、 胸の底に澱の如くよどみ、おりにふれて湧き上がる。」 「言葉によって与えられるオルガスムスこそ、基本的人権。」 「言葉狩りの横行する世の中こそ、文化は退廃する。」 「戦争で、最もひどい目に遭うのは、子供たちだ。」 「よく、戦前派、戦中派、戦後派といわれるが、ぼくはどこにもあてはまらない。焼け跡から始まっているのだ。」 「ある日、それまでの生活が断絶された。家族も家も学校も、ぼくの場合、昭和二十年六月五日を境に消えた。混乱しているゆとりもない。今日生きていくのが精一杯。闇市をうろついた。一面の焼け野原から、ぼくらのすべては始まる。」