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尾崎豊さんの残した言葉【ミュージシャン】 1965年11月29日~1992年4月25日

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「僕はお金のためにロックンロールをやっているんじゃない。僕は僕の歌を聴いてくれて希望を持ってもらえるために歌うんです。僕は傷ついた人たちのために歌いたい。」 「裏切られても信じることから、奪われても与えることから、寂しくても分け合うことから、悲しくてもほほえむことから、明日が平和でなければ誰にも生きる意味がない。心をいつでもかがやかしていなくちゃならない。気をつけてまっすぐ歩いてほしいよ。」 「人生なんて毎日少しずつ自分の心の財産を支払いながら生きていくようなもんだって」 「僕は生きてくこと自体、誰もが意味あることをなしているんだと思うし、そういったものに結論がつかない限り、僕は愛っていうものを信じて歌っていく人間でありたい。」 「人間はなぜ生まれてきたのか、ぼくはなぜ生まれてきたのか、その答えをずっと知りたかった。いま新たに課せられたものは、誰もが背負う痛みや苦しみをひとつずつ言葉にして、本当の音楽を歌い続けていくことだと思う。」 「孤独になる事も、淋しくなる事も、誰にも理解されない事も、それは思うように生きる事の代償なのかもしれない。」 「人ひとりが幸せになるか、不幸になるかは、そばにいる人のちょっとした優しい言葉だったりすると思う。」 「みんな自分をひとつの型にはめることによって安心するってとこが誰しもあると思うんですけど、そういった物の考え方のなかで、型にはめないで、それはひとつの状況に過ぎないって考えたい。」 「結果と過程、どちらが大切だと思う?と聞かれたら、僕は即座に『過程』と答えてしまう。到達する過程で自分や多くの人を裏切ったり、傷つけたりすることは些細なことでもイヤなんです。」 「科学的に証明されているかどうかはわからないけど、どんな形にしろ出会った人の個性とか持ってるものが自分の中に宿るっていう現象があるような気がしていて、僕は今回それを言いたかったんです。誰かと会った時点で確実に自分は変革されている、と。」 「僕自身のプライベートな気持ちを書いているだけなのに、大人への反発、社会への反発を歌っているととられている。それに気づかないでいたと思う。敵をつくるとか、反発するとか、そんなことだけじゃしょうがない。それだけで終わっちゃ何もならない。敵をつくるだけじゃ、かえって自分を追い込むだけだ。もっと違う何か、僕自身が探し続けているこ

尾崎豊さんの残した遺書【ミュージシャン】 1965年11月29日~1992年4月25日

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一つ目の遺書 先立つ不幸をお許しください。 先日からずっと死にたいと思っていました。 死ぬ前に誰かに何故死を選んだのか話そうと思ったのですが、そんな事出来るくらいなら死を選んだりしません。ただ死という状況が瞬く間に訪れるのです。 生と死を知り、生を葬るのです。 生と善意はあれど死を感ずるところ、ただ失意の如くに死に向かい今、人の群棲を歩き、痛み、ただ雨の如し 思いう虻まだ浅き月日おも人の言う己を語り尽すには足らず。 最果ては全てを許したいけれど、その余り今なお生きる我に痛みの雨ぞ降りて折り、あなたの歌が聞こえてきます。 まだ若かった頃のあなたの声があなたのぬくもりが甦ってきます。 さようなら、私は夢見ます。 二つ目の遺書(血染めの遺書) 今の悲しみに真のあなたの美しき綺麗な優しさを覚えます。 やがてこの暮らしを鏡として、そしてあなたを求愛し貴方を幸せに導きます。 私たちの愛に育まれる天使、裕哉を天命の元に敬愛します。 あなたは天命たる天女、そして天命たる女神、子はその道のもとに生まれたる天使。 やがて世の幸を待つ人々にとって使徒となるものたちが私たちの為に幸働く日が来るでしょう。 その日のためにあなたをこよなく愛します。 あなたを生涯守ります。 あなたに世界、そしてこの世の全ての幸せとなる尾崎豊より捧げます。​ 天の女神、そして天の使徒を守る天の子、そして幸を待つ人々のために。 繁美、あなたは本当に女神なのですよ。 裕哉、あなたは間違いなく天使なのですよ。 私はただ、あなたを愛し続ける名の神であり続ける。 皆の言うことをよく聞いて共に幸になってください。