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北条早雲さんの残した辞世の句【戦国時代最初の武将】1432年又は1456年~1519年9月8日

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「枯るる木に また花の木を 植ゑそへて もとの都に なしてこそみめ」 (辞世の句) 室町時代中後期の武将で、戦国大名となった後北条氏の祖である。 伊勢 宗瑞とも呼ばれる。 北条早雲は戦国大名の嚆矢であり、早雲の活動は東国の戦国時代の端緒として歴史的意義がある。 戦国時代の幕開けとなった武将。 「下剋上」「大器晩成」の典型とされていたが最近の研究で出自や出生について分かってきた為、疑問符を付けられることもある。 韮山城にて病死。

北条早雲さんの残した言葉【戦国時代最初の武将】1432年又は1456年~1519年9月8日

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「朝は常に早く起きるように心がけねばならない。遅く起きるならば、下の者までが気持ちを緩めてしまって、公務の大切な用事にも事欠くようになる。その結果は必ず主君からも見離されてしまうものと思って、深く慎まなくてはならない。」 「古語に、『子の刻(午前0時)に寝て寅の刻(午前4時)には起きよ』と言っているが、そのようなことは、人によって当てはまるのである。つねに寅の刻に起きるのがよろしく、辰巳(八時から十時まで)の刻までも寝ていたのでは、主人への出仕も叶わず、御奉公にも事欠くことになるのみならず、また、自分の用事をもすることができず、全くつまらない次第であって、毎日暮らしているのも無駄なことである。」 「『多人数の者と交わっては、差出がましくして事を起こすようなことがあってはならぬ』という言葉があるが、何事もしなくてよいことは、他人に任せればよい。」 「上下万民すべての人々に対して、言半句たりとも嘘を言うようなことがあってはならない。いかなる場合でも、ありのままに申しのべることが大切である。嘘を言っていると、それが習慣となって、ついには信用をも失ってしまい、物笑いの種となるのである。己れが言った言葉について信が置けず、他人から聞きただされるようになっては、一生の恥と考えて、かりそめにも嘘は言わぬように心掛けなくてはならぬ。」 「御奉公申し上げる用事の間には、乗馬の練習をするがよい。乗り歩く基礎を十分練習して、手綱のさばき具合や、その他の妙技について、稽古を積んで習得すべきである。」 「友を選ぶ場合、良友として求むべきは、手習いや学問の友である。悪友として除くべきは、碁・将棋・笛・尺八などの遊び友だちである。これらの遊びは、知らぬといって決して恥にはならぬものであり、また、たとえ習ったからといっても悪事とまでは呼はれぬものである。これは、他になす事のない連中が、空しい時間をいかにしてすごそうかと考えて行なうものといえよう。」 「夕方になったならば、六ツ時(午後六時)には門をぴったりと閉ざしてしまって、人が出入りをする場合だけ開くようにさせるがよい。そのようにさせなくては、やがては必ず何かの悪事がひき起こってくるものである。」 「夕刻には、台所や茶の間その他の火の置いてある場所を自分で見回って、火の用心を家人に対してかたく申し付