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安藤昇さんの残した言葉【俳優】1926年5月24日~2015年12月16日

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「『男の品位』とは、言行の一致にして一念に殉じることを言う。つまり、『やる』と約束したことは命を取られてもやり抜く。『やらない』と言い切ったら、万金を積まれても微動だにしない。そして、事に臨んで弱音を吐かず、失敗したら無念の一語を呑みこんで潔く責任を取る。 これが『男の品位』だ。…… 価値観の多様化などともっともらしいことを世間では言うが、そうではない。『男の品位』は時代を超えて不変なのだ。」 「果報は寝たふりをして待て」 「ヤクザは辞めたが 男を辞めた覚えはない」 「相手に敵意がないことを示すのが礼儀。」 日本の元ヤクザ、俳優、小説家、歌手、プロデューサー。東京府豊多摩郡東大久保天神下出身。 愚連隊となった当初は新宿で勢力を拡大しようとしていたが、敗戦直後の新宿は古豪と新興勢力がひしめきあう激戦区であったため、やがて渋谷へ転進。当時の渋谷は、渋谷駅を世田谷方面からのターミナル駅として利用する学生が集まる、いわば「子供の町」であった。そのためか、1950年代半ばまでは警察も飲食店での揉め事に関知しない「無警察地帯」であったとされ、そこに目をつけたものと思われる。 トレードマークとして知られる左頬の傷は、1949年春の夕暮れどき台湾人の蔡という人物に銀座・並木通りとみゆき通りの交差点付近で言い掛かりを付けられ、喧嘩になりかかった際に「待ってくれ!上着を脱ぐから」と云うので律儀に待っていたところ、咄嗟に上着に隠してあった短刀で切り付けられた時のものである。 映画『網走番外地 吹雪の斗争』に出演した際、監督・石井輝男に無断で撮影現場を離れて帰ったことがある。石井は含むところもなく、安藤とこれ以降の映画でも仕事をしている。 俳優として出演していたのは専ら映画だったが、1970年にはテレビ時代劇『新・三匹の侍』にも主演している。監督を務めた五社英雄とは互いに義兄弟と認めた間柄であり、五社自ら自分の映画への出演を安藤に打診していたが、1974年、東映配給の映画『暴力街』において安藤は江川紘一役で主役を務めた。 唐十郎監督映画『仁侠外伝 玄界灘』撮影中に本物の拳銃を使い、監督とともに小田原署に逮捕される。安藤によればこれは宣伝のためで、捕まることが前提であったという。撮影現場には新聞記者も呼んでいた。 安藤は俳優として人気も実力もあったが、あま