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榊莫山さんの残した言葉【バクザン先生】1926年2月1日~2010年10月3日

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「仲間内で展覧会やって、典雅ですな、優雅ですな、くらいしか評する言葉を持たん同士が褒め合うてる。むつかしい漢字を続け字で書いて、そんなん誰も読めへんやろ。かしこい言葉を書くほど人は離れていく。」 「真っすぐ前ばかり見とっても、何も見えてこんで。人生、大事なことは横っちょの方に転がってるもんや。」 「思い通りにできる、っちゅうのは、決まっていっぱい失敗した後や。」 日本の書家・作家・元教諭。 「バクザン先生」の愛称で知られる。前衛的な書画と、作品のイメージ通りの飄々とした印象で、宝酒造の「よかいち」のテレビCMをきっかけにバラエティ番組などにも多数出演。 また、エッセイなども多数著し、関連も含めると100冊を超える。 京都府相楽郡大河原村南大河原(現・南山城村)にて、小学校の校長の長男として生まれ、三重県名賀郡古山村菖蒲池(現・伊賀市)で育つ。1938年、三重県立上野中学校 (旧制)に入学。同校では、書を松永楳園に、油絵を佐々木三郎に学ぶ。 1943年に同校を卒業し、三重師範学校(現・三重大学教育学部)に入学。在学中、学徒出陣で徴兵され、沖縄に派遣される予定だったが、艦船がなかったために鹿児島で足止めされ、そこで敗戦を迎える。敗戦と同時に三重に帰郷し、聴講生として京都大学文学部の井島勉に美学を学ぶ。隣村の国民学校(現在の公立小学校に相当)に小学校の教員として勤務。教員時代には公立学校の教職員組合活動にも参加したことがあった。1946年、奈良国立博物館の第1回正倉院展を観に行った足で奈良在住の書家・辻本史邑に入門し、書の道に入る。日本書芸院展に出品した漢詩で推薦一席(最高賞)を1951年から2年連続で受賞するなど20代の頃から頭角をあらわし、辻本の死を機に1958年に日本書芸院や上田桑鳩の奎星会を退会して書壇から退き、以後は独自の世界を展開させ、自分の主宰する団体を立ち上げた。自身の主宰する団体で多くの弟子を育てた。弟子には東大寺の歴代の管長や、近畿大学文芸学部講師の岸玲州と喜家村信一に荻野丹雪など。末弟には川合正宏など大勢いる。近畿大学文芸学部出身の弟子も多くいる。 榊莫山は在野ではない。書道団体を立ち上げ、会の名前は山径社→墨象展→墨の芸術展→莫門展→墨象展と幾度か変更したり戻したりしている。 故郷の伊賀から、大阪へ移住し、大阪府大阪市や八尾市...