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オーティス・レディングさんの残した最後の言葉【ソウルの神様】1941年9月9日~1967年12月10日

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「この曲(ドック・オブ・ザ・ベイ)は俺にとって初めてのミリオンセラーになるよ」 (最後の言葉) アメリカのミュージシャン。独特の歌唱法でソウルに多大な影響を与えた。 「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」において第8位。 「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100組のアーティスト」において第21位。 1960年代初頭にジョニー・ジェンキンズのパイントッパーズで音楽活動を始め、ソロ・シンガーとして契約後1962年に「These Arms of Mine」を発表(R&Bのチャートで最高位20位、Billboard Hot 100で85位と人気を博す)、この歌をきっかけに1964年スタックス傘下のヴォルトからアルバム『Pain in My Heart』を発表、アメリカ国内でアトランティック・レコードのもとで全国流通を果たす。同年、ブッカー・T&ザ・MG'sのスティーヴ・クロッパーと共同制作した「ミスター・ピティフル」は、R&Bシングル・チャートで最高位10位、Billboard Hot 100で41位となるヒットとなった。生前のシングルレコードで最も評判を呼んだのは、ジェリー・バトラーとの「I've Been Loving You Too Long」で、R&Bのシングル・チャートで2位を記録して彼のキャリアの中で最も高い評価を得る作品となり、続く「リスペクト」(後にアレサ・フランクリンによるカヴァーが大ヒットする)はR&Bチャートで4位を記録した。その後、「アイ・キャント・ターン・ユー・ルース」、「サティスファクション」(ローリング・ストーンズのカバー)といった曲がヒットして、古いラブ・ソングをリサイクルした「Try a Little Tenderness」は、1966年の代表曲となった。そして、1967年のモントレー・ポップ・フェスティバルに出演して評価を得た。このフェスティヴァル出演後、喉の異変を訴え、ポリープが見つかり医者から2ヶ月間歌う事を禁じられ、後の曲調の変化に大きな影響を与えた。 モントレー・ポップ・フェスティバル 白人のロック・ミュージシャンが多数出演するモントレー・ポップ・フェスティバルにオーティスが出ることについて、当初は難色を示す者が多かった。オーティ